酒井啓子さん、日本人なら分かるだろうモードで日本腐してません?

Newsweek COLUMN 中東徒然日記 酒井啓子:インフルエンザと排外主義

新型インフルエンザ発症で世間が大騒ぎしていたゴールデンウィークの真っ最中、ワシントンに行ってきた。どこの大学でも「不要不急の出張は控えよ」と、お触れが出ていたが、どこまで厳密に対応するかは大学それぞれで濃淡があり、厳しいところでは帰国後何日間も自宅待機を命じられた大学もあったようだ。

これだけ読むと、文脈からてっきり、ワシントン市内の大学のことかと勘違いしてしまう。なにせ日本のニの字も出て来ないのだから。次の、

一方、日本のパニック的対応と対照的だったのが、米国での危機感のなさである。

で、やっと、日本の大学のこと言っているのだな、と察しがつく。「日本の大学」とは何も書かれていないのだが、著者からすれば「そんなの、日本人なら当たり前に分かるでしょう」モードで書いているようだ。
次の箇所もよく呑み込めない。

日本を発つ時には、タクシーの運転手に行き先を聞かれて、つい正直に「米国」と言えない空気に包まれた。

「米国から着いた」なら、それも有り得るかもしれないが「米国に行く」がなぜ「言えない空気に包まれた」になるのか、理解不能だ。酒井さんがアメリカに行こうが、メキシコに行こうが、タクシー運転手が迷惑がるわけがない。
酒井さんの主旨、

いずれにしても、自分たちの社会にありえない、と思うものからの脅威には、社会は過剰に情緒的に反応する。「豚」や「ウイルス」だけではない。「テロ」もまた外国からもたらされると考えれば、外国人一般への排外的な措置が取られがちだ。外国からの脅威が忍び込むことに注意を払うことも大事だろうが、グローバル化された世界では防ぎきれない脅威にどう冷静に対応し、どう飼いならすかを考えることも大事ではないだろうか。

を導入するために「日本のパニック的対応」を例に挙げたように見える。しかし、大学やタクシー運転手を無理矢理ダシにしているところを見ると、実はイスラーム教徒やユダヤ教徒こそがダシに使われ、本当に言いたかった「日本のパニック的対応」を引き出したかったのだと思える。要するに「米国は冷静なのに、それに引きかえ日本ときたらインフルエンザくらいで排外主義」が本当の主旨なのだ。「米国の危機感のなさ」を批判しようとする問題意識は最初からゼロ。もっとも、もし逆に「日本の危機感のなさ」が「問題」だったら、真逆の文章が紡がれるのだろう。ただし、曖昧な日本的馴れ合い文章の書き方は、どっち方向でも変わらないのだろうが。
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