温暖化問題が最近のトピックと勘違いしている人は意外と多い

上杉隆氏の「元秘書の立場から、鳩山邦夫という政治家を語ろう」を読んでそう思った。

「右肩上がりの経済成長ばかりを望む時代は終わった。日本は、成熟した環境国家として、世界で初めて“ゼロ成長”、あるいは“マイナス成長”を目指す国家だと宣言すべきだ。民主党は、それを党の政策に堂々と載せるべきだ」
 現在は、地球温暖化に伴う環境意識の高まりで、この発言に対する賛同もなくはない。だが当時は違った。まだ地球温暖化という言葉すら市民権を得ておらず、“マイナス成長”などはもってのほか、共産党ですら触れなかった言葉だったのだ。

鳩山邦夫氏のいつごろの発言なのか、はっきり書かれていないが、いずれにせよ、文の前後を読めば、1996〜98年の間と分かる。
その頃、何があったかと言えば、1997年12月にCOP3があり、京都議定書が採択されている。マスコミも前年から地球温暖化キャンペーンを行っていて、

地球温暖化という言葉すら市民権を得ておらず

なんてトンデモない勘違いなのだ。
もちろん、地球温暖化キャンペーンがあったのは、COP3前が最初ではなく、その前に1992年に地球サミットが開かれていて、1990年代に入ってから地球温暖化はとっくに市民権を得ていた。エコバッグだって1990年代初期から作られていたし、NHKが今やっているキャンペーンの大概のことは既に90年代初期には出揃っていた。
今の地球温暖化キャンペーンは言わば第3波で、2006年から話題になったアル・ゴアドキュメンタリー映画不都合な真実」と2007年2月に公表されたIPCC第四次評価報告書からのものだ。
ただ、調査、研究は進展してもマスコミレベルの出し物は基本的に十年一日の如しでいまだ小学校の学級目標と変わらない体たらくということだけだ。何もマスコミだけが責任があるわけでもなく、国際会議もゴマカシ、先送りの繰り返しだから、そりゃ、ブームが過ぎれば忘れるわな。
上杉氏だっていやしくも鳩山邦夫氏の秘書をしていたのだから、随分と地球温暖化問題は刷り込まれていたはずだ。そんな人でもこんな勘違いしてしまうところが、一番の問題だろう。
要するにマスコミによるキャンペーンや国際会議と同じで、同じ行事を何度も変わらず同じ調子で繰り返されると、飽きが来てその時は熱心でも次第に無関心になり、以前も同じことをやっていたことすらついつい忘れてしまうのだ。積み重ねということがないから覚えたことを忘れ、また覚えて忘れる。まあ、鳩山邦夫氏のような超人的記憶力がなさそうな上杉氏でなくても無理ないのだ。
もう一つ。忘れるとは正反対のいつまでも過去に拘って覚え放しの人種もいるから世の中ままならない。同じ鳩山氏の

“ゼロ成長”、あるいは“マイナス成長”を目指す

に、
Baatarismの溜息通信:経済成長を否定する鳩山邦夫

鳩山邦夫氏の言うように日本がゼロ成長やマイナス成長を目指すと言うことは、1年当たり2〜2.5%くらいずつ、要らない人間を増やしていくということになります。その結果起こるのは、貧困、様々な形の死(自殺、病死、餓死、凍死など)、それに社会不安(犯罪、暴動、社会崩壊など)ということになるでしょう

と反応する人々がいる。これ、供給力が毎年2〜2.5%ずつ増えているから需要も増やさないとどうにもならなくなるという理屈だけれど、論理が逆様なのだ。最初から供給を増やさないことはタブー化されている。なぜ逆様になるかと言えば、近代の経済学は、実は「経済成長するためにはどうするか」という学問なので、最初から特定の目的が内包されていて、学問がそのための手段と化している。これはケインズであろうが、ハイエクであろうが同じ。だから真実の探求そのものが目的で自己完結する純粋科学と違ってより宗教に近い。「どうしたら幸せになれるか」の疑似科学なのだ。
そのため、ゼロ成長などと言い出せば異教徒扱いされる。本来ならゼロ成長の経済学もマイナス成長の経済学もアリなのだけれど、そんなもんは経済成長教の邪魔以外何者でもないから真っ向否定される。経済に詳しい人間であればあるほど経済成長が固く教義化されているから困ったものだ。
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