限界集落を人工湖に変えると温暖化対策にもなる

限界集落@wiki

過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。
長野大学教授(高知大学名誉教授)である大野晃が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念である。

大野晃教授が長野大学時代に打ち立てた概念というが、その長野県も、
Espresso Diary@信州松本:甲信地方では、5軒に1軒が空き家になった。

日本の空家率が、13.1%に上昇しました。最も空いているのは山梨県で20.2%、次が長野県の19.0%ですから、甲信地方では5軒に1軒が空き家です。

とのこと。そのうち限界住宅地なんて言葉も出て来るかもしれない。京都で賃貸マンション経営している私の友人も金融危機前後から急に空き室が増えて困っていると言っていたけれど、特に長野県は以前から、「限界化」は着実に進んでいたのだろう。
その長野県では以前「ダムはムダ」とフレッド・ピアスの受け売りしていた知事さんがいた。けれど、こんな発想はもう古いと思う。特に温帯モンスーンで山岳地帯の多い日本では無意味だ。
ふと考えたのだけれど、限界集落は今後、地形による適性もあるので十把一絡げには行かないのは仕方ないにしても、ダムを造れる地形なら、ダムを造って発電などの多目的ダムにし、限界集落人工湖に水没させればいいのではと思える。
気象の専門家によると、今世紀の日本は地球温暖化の影響で降雨量が2割ほど増えるそうだ。最近のゲリラ豪雨もその一端に違いない。降雨量が2割ほど増えるということは単純計算すれば潜在水力発電量も2割増えるということになる。環境に優しいエネルギーを促進するならダムによる水力は見直されるべきだろう。マイクロ発電などという少雨の欧米流の発想だけを真似るなど愚の骨頂だ。
人工湖で水没なんて殺生なという向きもあるかもしれないが、このまま放置すれば廃村になるのは目に見えている。自分の村が水底に沈むというのは現居住者ばかりか、かつてそこで生まれ、育ち死んだ先祖にも申し訳ないことだ。耐えられない苦痛を伴うだろう。
けれど、どうせ安楽死させなければならないのなら、もはや是非もないと判断すべきで、限界集落地を中心に人工湖を建設すべきだろう。
水没で村を追われた住民はどうするかだが、空き室率が2割あるのなら、村を捨てた人々の受け皿は充分あるということだろう。
自治体では都会暮らしだった年配者を田舎暮らしに呼び寄せようとしているが、その前に呼び寄せるべきは近くにある限界集落の人々だろう。
今後10年で全国に100箇所くらいダムによる人工湖を建設すれば色々な意味で変わると思う。もはや何も生み出さない廃村が水資源の貯蔵庫となり、水力電源となり、養殖漁場となり、湖底は二酸化炭素吸収湖ともなる。北海道だって東北だって今は水余りとか言われているところもあるようだが、夏の残雪が減れば、水不足になる恐れもある。集中豪雨をいかに貯水し、有効利用する算段を考え、同時に限界集落という“不良債権”も適切に処理する方法は植林以外にはこれしかないだろう。
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