太陽と核爆弾の類似性

NHKノーモアヒバクシャ見たよ。
6日の広島市長のオバマジョリティとかYes we canに何か鼻白むもの感じた矢先、まるで世界が核廃絶に向かったかのような雰囲気なのだけれど、一番印象深かったのは「核抑止は幻想」という言葉。
そう確かに幻想なのだけれど、同時に核廃絶も幻想ぽい。
米ロが核弾頭削減に合意したのは技術的進歩だろう。大体ロシアが14000発、アメリカが1万発らしいが、これは別にロシアが一番というわけでなく、命中精度がアメリカの方が優れているので、その分少なくてすんでいるという話で。今回は多分、この20年くらいのITによる核ミサイルシステムへの応用が飛躍的に発展し、さらに命中精度が高まったからもっと削減できても大丈夫だから削減をしましょうという話し合いだった。
核が本当に世界から消えてしまったら、多分大混乱になる。アメリカドルは暴落し、国際通貨が不安定になって世界の経済システムが崩壊するかもしれない。核というのは今や中央銀行に保蔵された金塊のようなものだ。(「ウラン本位制」参照)
太陽が地球に生命をもたらしているのは、太陽と地球の距離が微妙すぎるくらい程よいバランスが保たれているからで、少しでも距離が長くなったり、短くなれば生命は滅ぶだろう。太陽の光度が今後飛躍的に増せばやはり滅ぶだろう。こんな「恐怖の均衡」という核抑止戦略の用語になぞらえるべき状態であるのに人は太陽を「生命の母」とか言う。太陽そのものが「生命の母」ではなくこの微妙なバランスが「生命の母」だというのに。
核抑止というのはこの微妙なバランスのことだ。確かに危険物なので取り扱い注意なのだけれど、だからといって核を廃絶するとさらに恐ろしいことになる。
アメリカの人が言っていたが、「廃絶しても核を作るノウハウは廃絶できない」というように廃絶した途端、邪悪な勢力が秘密に核兵器を製造すれば、世界は悪党に支配されてトンデモナイ地獄になる。その人はそこまで言っていなかったが、そういう趣旨だ。
たとえついでに言えば、核戦争とは地球が太陽に接近して地球が住めなくなること、廃絶すると今度は太陽との距離が遠くなって太陽の恵みが得られず地獄と化すということ。
これは是非の問題ではなく、是非もない問題だ。
核のない世界で起きうる大混乱の小さな例は、イラク戦争だろうか。開戦理由はイラク大量破壊兵器を持っている証拠を見つけた、というものだったが、本当は逆だろう。実際はイラク大量破壊兵器が存在しないのを確認したからアメリカは安心してバグダッドまで侵入し、サダム・フセイン政権を転覆できた。湾岸戦争時はまだイラク大量破壊兵器持っていたからクウェート解放どまりでバグダッドに深入りしなかった。
要は大量破壊兵器あったからではなく、なかったからイラクは滅ぼされた。それを目の当たりにした金正日は必死で核兵器開発を急がせた。まあ、そういうことが今の現状みたい。
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