嫌よ嫌よも基地の内

米国防長官:普天間移設、再交渉はない−沖合移動には柔軟(ブルームバーグ)

ゲーツ米国防長官は20日午前、日本に向かう機上で同行記者に対し、沖縄県の米海兵隊普天間飛行場宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移転問題について、日本が移転をめぐる2国間合意を見直すことは「歓迎するが、われわれは交渉済みの合意の下に前進しなければならない」と述べ、再交渉する考えのないことを明らかにした。

これ、結局、またしても問題先延ばしという暗黙の合意の布石なのだろうか。
普天間移設先 政府蒸し返し、知事「うんざり」2009年10月18日(琉球新報)

仲井真知事は、市街地の中心にある基地の危険性除去が最優先だとし「県内といえどもやむを得ないと、条件は付けているが、賛成だということでやっている」と述べ、現実的対応として県内移設を容認する姿勢をあらためて示した。
 鳩山政権が模索している県外移設については「一番いいのは県外だ。普天間はもう65年も県民が受け入れている。できれば出してほしいが、なかなか難しい」と説明。
 その上で「名護市が受け入れてくれるという中で、基本的には移さざるを得ないということで環境アセスを進め、だいたい終わりの状況に来ている」と語った。

「やむをえない」「できれば」などなど、そもそも基地を手放す気などさらさらないのだ。基地移転問題のきっかけとなった1995年の少女暴行事件からもう14年経っている。その時のスローガンは「日本の米軍基地の75%を沖縄に集中している」だったから、こんな言葉当時の雰囲気からすれば噴飯物だ。
普通に考えれば県外の代替候補地の一つや二つ具体的な場所が検討されていてしかるべきだったが、そんなもの自民党政権化で一度としてなかった。そんな中で名護市が代替で受け入れること自体が八百長なのだ。「仕方がない」というのは方便で、元々基地利権を手放す気など最初からないのだと判断せざるを得ない。
その上、基地内移転ですらまだ蒸し返されている。こうした「嫌よ嫌よも好きのうち」状態で、沖縄サミットが誘致されるは、ゴネ得が延々と続く。

軍用地主らが戦後、土地返還や賃料値上げを訴えてきた歴史を背景に、米軍・自衛隊施設内の民有地の借地料はここ数年も平均0・5%前後上昇。沖縄の過重な基地負担への“代償”の意味合いもあるため、県外者による土地購入は望ましくないとの指摘もある。

(参照)
実際には、借地料目的の投資は1995年当時から行われていたが、借地料の着実な値上げを下支えしているのは、基地移転闘争という名の借地料値上げ闘争だ。蒸し返し、妥協の連続で、着実に借地料は値上がりしてきた。宜野湾市民や浦添市民の迷惑などどうでもいいのだ。ヘリコプターが墜落するたびに借地料値上げ要求の口実ができる。そんなもんだ。
沖縄県庁の本音は「できれば、今のまま名護に移転するかしないかで揉めたままにしてほしい」だろう。下手に名護に移転すればしたで、県内間の利害調整がまた大変だし、名護だと騒音被害も軽減されて値上げ闘争の大義名分も弱くなるだろうから。沖縄県と名護市でキャッチボールを続け、「プレイボール」は「できれば先延ばし」がいいのだ。
この構造は半世紀経っても解決しない八ツ場ダムと同じで、紛糾⇒棚上げ紛糾⇒以下ループで繰り返されて肝心のものはいつまで経ってもできずにしておけば、継続的に得をする人たちがいるからだ。このパターンは民主党政権交代後も継続されるようだ。
一応、民主党は、7月に

関係筋によると、鳩山由紀夫代表は周囲に移転先として新田原、築城両空自基地を挙げたという。鳩山氏は19日、沖縄県内の集会でも「最低でも県外移転の方向で積極的に行動したい」と発言している。

(iza)
となっているが、あくまで非公式な情報でしかなく、当時の岡田克也幹事長は否定している。そして、マニフェストでも言及されていない。
当ブログでは一応、「名護より種子島に代替基地を」と書いたが、それからも、もう3年半経っている。しかし、公の機関が代替候補地を模索した形跡は事実上皆無だ。民主党もご多分に漏れず、具体的な県外移転候補地は出してない。
最初から県外移設は建前だけで、それを沖縄県庁も望んでいないのだ。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 ニュースブログへ