朝青龍における運命論

テレビ朝日朝青龍引退会見を見ていたら今回の引退を「自分にとっては運命」と言っていた。ところが字幕には「自分にとっては無念」とある。一瞬目と耳、どっちを疑ったらいいのか迷ったが、やっぱり「うんめい」と聞こえた。
その後、NHKを見たら、やっぱり「運命」と言っていて字幕もそうなっていた。
「無念」と「運命」とは随分ニュアンスに違いがあるだろう。広辞苑によると
【運命】人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶損福。それをもたらす人間の力を超えた作用。
とある。
対して、
【無念】口惜しく思うこと。不本意。残念。
つまり、口惜しさという自分の奮起で何とかなりそうなことではなく、もはや人間の力ではどうにもならないと諦めているのだ。
他のメディアを見ると、「運命」は同じでも微妙に割愛されている部分もある。
朝青龍の話「自分にとって運命」(日経)では、

(これから)「正直ちょっと休みたいなというところはあります。精神的にダメージを受けたし、みなさんの力に圧倒されたところもある
 「メディアの内容と、実際起こしたことには差があり、様子をみようと思っていたが、最後は僕が決断するしかないと思いました。理事の前で責任を取りますと話しました」
 (このような形での引退)「それも自分にとっての運命じゃないか」

となっているが、

「これが運命」=朝青龍一問一答(時事)では、

メディアでいわれていたことと(実際に)起こしたことでかなり差があり、様子を見ようと思ったが、けじめをつけるのは僕しかいない。いつかはこうなると思った。
 −初場所で25度目の優勝。まだこれからという時だが。
 それが自分にとっての運命じゃないかと思う。25度も優勝して、相撲に対する悔いはない。

と、「マスコミに負けた」というニュアンスが削ぎ落とされている。
こういう報道というのは、実は普段はスポーツと関係が薄い日経あたりが一番客観報道してくれるようだ。
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