言葉遊びもハイエクだと遊びじゃなくなるらしい

ハイエク 知識社会の自由主義

We need freedom because we are not smart enough to give it up.
自由が必要なのは、それを放棄できるほど我々は賢くないからだ。

その説明として、ハイエク

もし全知全能の人がいて、現在の希望ばかりではなく、将来の欲求や欲望も達成されるのかどうかを知っていれば、自由の必要はほとんどない。逆に、個人の自由は将来についての予測を完全に不可能にする。したがって自由は、予測も予言もできない未知の可能性を開くために必要なのだ。[中略]人々が知っていることはあまりにも少なく、とくにだれがもっともよく知っているかを知らないから、われわれは多くの人々の独立した行動と競争的な努力によって、望ましい未来が自発的に生まれることを信じるのだ。

こんな説明、一目でナンセンスな言葉遊びなのだと分かる。元々個人の自由があろうとなかろうと未来予測は不可能だし、自由をなくせば未来予測が可能になるわけでもないから。
自由は未知の可能性を開くために何ら必要じゃない。自由があろうとなかろうと未知の可能性は自ずと開いて来る。自由など最初からお呼びじゃないのだ。というか、不自由だからこそ未知の可能性は自ずと開いて来るのだ。これが本来の自生的秩序の本質だ。
もしこの世に完全なる自由が実現すれば、自生的秩序すらなくなり、この世界は一瞬に消え去るだろう。完全なる自由とは完全なる死だ。だって、そうなったらもう何もやることなくなるだろう。
ところで、人間の自由となると、絶対的未来予測は最初から確定している。「人はいつか死ぬ」。これは全知全能でなくたってみんな100%予測が可能である。その意味で人は皆全知全能なのだ。
つまり、いつか完全な自由を得る。人生とはそこに至るまでの「不自由な道」なのだ。最初から完全な自由になると分かっていながら何が哀しくて自由を求めるのか。我々は不自由でないと生きていはいけない。
だからDan the Prisoner of FreedomとすべきではなくDan the Prisoner of Mortalityとでもすべきだった。
We need regulations because we are not smart enough to give them up.
規制が必要なのは、それを放棄できるほど我々は賢くないからだ。

と仮にハイエクが言っていたらどう反応するつもりだったのだろうか。ハイエクの戯言は未来予測と自由とは何の関係もあるわけない読むに耐えないfashionable nonsenseとしか言いようがない。
それをまた今起きている現実の問題に応用して、

社会主義が失敗したのは、政府が未来を予知できると考えて経済を「計画」したからである。その意味で、ソフトバンクの提唱する「光の道」構想は、本質的に社会主義である。孫正義氏が現在のあらゆる技術的知識を知り尽くしていたとしても、30年後の技術や市場を予知することはできない。

我田引水している人までいる。
ここまで計画経済だと否定したら明日のプランを立てることも社会主義的になってしまう。そもそも「30年後の技術や市場を予知することはできない」から30年後のプランを立てるのだ。予知できれば、そもそもプランなど必要あるわけない。予知できればプランすら立てる必要ないとハイエクが言っているではないか。社会主義が未来を予知したのは千年王国的な天国の世界という錯覚した死のことであり、光の道とは何の関係もない。逆説的に言えば「競争による可能性の展開」も計画経済の亜種なのだ。
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