徳之島は県外だが広義の琉球なので負担を分かち合うことにならない

ということをつくずく感じる。
3町長、徳之島移転を全面拒否=鳩山首相「訓練だけでも」−普天間、政府案を表明(時事)

席上、首相は「大変な混乱、ご迷惑を掛けたことをおわびする」と陳謝。その上で「普天間の機能の一部を引き受けていただければ大変ありがたい」と、徳之島への移転案を正式表明した。4月のワシントンでのオバマ米大統領との非公式会談で「日米同盟を維持していくためにも、沖縄の過重な負担を全国で分かち合うことが大事だ」と、協力を要請したことを明らかにした。

その「沖縄の過重な負担」と言われても、厳密に言えば、徳之島を含む奄美群島琉球王朝時代は琉球の領土内で、琉球というくくりで言えば、同じことなのだ。
琉球処分で完全に琉球王朝が消滅するが、それまでは形式上琉球に所属していたし、薩摩藩が占領する前は完全に琉球に属していた。
そもそも普天間基地の重要な“抑止力”とされる台湾有事というのも歴史的に見れば冗談みたいな話で、琉球藩の歴史では、当時、

王族士族の抵抗(サンシー事件など)を退けた(第二次琉球処分)。清は再三抗議し、八重山への出兵を検討した。アメリカ元大統領ユリシーズ・グラントの仲介もあり、1880年北京で日清の交渉が行われた。
この時、日本は、沖縄本島を日本領、八重山諸島宮古島を中国領として、日清修好条規に中国内での日本人の通商権を追加する案(分島解約案)を提示し、一旦は話がまとまるかに見えた。しかし清は、当時の日本に対する量的軍事優位を背景に、二島の領有を望まない代わりに、二島を琉球に返還した上で、琉球王国を復興して清国に併合することを目論んでいた[要出典]。結果、分島にたいする琉球人の反対もあり、清は調印せずに終わる。最終的に琉球の帰属が国際的に確定するのは、後の日清戦争後まで待たねばならなかった。

で、日本側が八重山諸島宮古島を中国領と提案していた。実際、琉球は中国の朝貢国だった。そういう歴史的地層を見れば、沖縄への“抑止力”の集中は最初からかなり無理がある。米軍が“占領軍”だという意識は本土より大きく、それは徳之島だって変わらない。
そうすると、“抑止力”の安定的維持を願うなら奄美以北、種子島がやはり良いということになる。
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