バイオダイバーシティに関する誤解

マル激トーク・オン・ディマンド 第496回(2010年10月16日)なぜ今、生物多様性なのか ゲスト:井田徹治氏(共同通信科学部編集委員)

われわれ人類はほんの20年ほど前まで、そこで破壊された生態系の本当の価値を理解することができていなかった。井田氏は、環境破壊が悪いと言われていても、それが不可逆的な生態系の破壊に及ぶことまで、われわれ人類の知識や理解が及んでいなかったため、対応が不十分だったと話す。つまり、いったん森林を破壊すると、再び植林をするだけでは、不十分である可能性が高いというのだ。また、同じく森林破壊を例に取るならば、木材の売却や跡地利用から得られる価値よりも、元の生態系から得られる「生態系サービス」の価値の方が遙かにに大きいことも、次第に分かってきたという。

この、最初の「われわれ人類」という主語は間違っている。筆者神保氏が主語であるべきだ。
「20年ほど前」というのは「生物多様性」という言葉が生まれたというのが根拠だが、「生物多様性」という言葉が先行したのではなく、それ以前に「生物多様性」という概念があったから「生物多様性」という言葉が必要性に迫られて造語されたに過ぎない。人類はそれほど無知じゃなかった。無知なのは神保氏などのマスコミ人なのだ。
自然生態系の破壊が不可逆性だということも、二重の意味で間違いがある。そもそも自然生態系は地球誕生以来、不可逆的に進化していた。可逆的な自然生態系などそもそもなかったし、あるわけないのだ。
「自然破壊」だって言わば人間側の短期的視点に過ぎない。「破壊」というのは人間中心主義的概念で、自然生態系から見ればただの変化に過ぎない。
さらにまるで人間が自然生態系に入ってないかのような前提がなされているが、もちろん、これも間違い。人間が発明した様々な人工的な素材も何もかも自然生態系の中で起きている現象で、その意味で自然生態系の中にある人類はいかなる「自然破壊」もしていない。
東京の高層ビル群も、自然生態系の産物であり、蟻塚と何ら変わりない。中にいるのが人間かアリかの違いだけなのだ。

人類は目先の利益のために、実は大きな損害を自らに課していることが、次第に明らかになってきたと井田氏は言う。

これも迷信だ。人類は自然生態系の中で最も長期的な利益を考えられる生物だ。その他の生物種こそ全て「目先の利益」のみを追求している。「目先の利益」の集合がある種の「調和」を保っていたに過ぎない。

自然の恵みの経済的価値を客観的に評価する取り組みも始まっている。たとえば、08年のCOP9の議長国ドイツが中心となって世界中の研究や論文をまとめた「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」の中間報告などでは、マングローブ林の保護や植樹のためのコストは、堤防の維持費用の節約になっているとした。

これは最も幼稚でどうしようもなく進歩のない「自然の恵みの経済的価値を客観的に評価」の例だろう。単なる人間の側の経済的利益と経済的コストを差し引きしただけに過ぎない。いまだこんな幼稚な議論が十年一日のごとく世界レベルで行われていること自体が大問題だというのに。
付け加えれば、

地球上では有史以来5回、生物多様性の大崩壊がおき、そのたびに地球上の生物はそれを乗り越えて繁栄をしてきた。そのおかげで今、われわれ人類は存在する。井田氏は、現在進行中の生物多様性の急激な崩壊は、既に地球にとっては6度目の大崩壊となっているという。そして、今回の大崩壊と過去5回のそれとの最大の違いは、過去のそれが隕石の落下などの不可避な自然現象が原因だったのに対し、今起きている大崩壊は人類が人為的に起こしているものであるという点だろう。そして、人為的に起こしているものだからこそ、われわれには選択肢がある。

に関する宮台真司氏の「6度目の崩壊によってニッチが生まれ新しい生物の進化」云々というのは出来の悪いSF的ナンセンス。もはやそんなニッチなど存在しない。自然生態系の中で人間生態系が圧倒的な支配権を確立させており、人間が滅亡すれば自然生態系は退化し、地球の寿命とともに滅びるだけだ。
地球の寿命に抗えるのは実は人間だけで、人間こそ自然生態系の最終的な旗手だということを忘れてしまえば、それこそが本当の自然破壊が起きる時だろう。
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