留学したがらない日本の若者は世界の最先端を逝っている

最近よく目にするのは、【ノーベル化学賞】「私は受験地獄の支持者だ」「若者よ、海外に出よ」根岸さんが会見(産経)とか、所謂海外留学を希望せず、企業の若者も海外駐在を望まず、国内で楽に暮らしたい社員に対する“内向きニッポン”嘆きの声。
けれど、こういうステレオタイプな反応というのは、もはや前世紀の遺物で、嘆いている方が現実を見ていない、見たくないだけなのかもしれない。
中国やインドの勃興にすぐに「日本だけ取り残される」とそういう人々は嘆く。しかし、前世紀は「日本だけが他のアジアを取り残して」一人勝ちで欧米の仲間入りしたと自己満足していただけなのだ。キャッチアップされかかると、泡食って、若い世代に八つ当たりしているだけなのだ。
しかし、嘆きの前提であるグローバル経済時代などそんな長続きする経済システムではない。50年後は今よりもっと経済がグローバル化している保証など実は何もない。
およそ、こんなグローバルエコノミーほどエネルギー効率から見ても非効率なシステムはないだろう。効率的になったのは情報の移動だけだ。情報は基本物質的エネルギーを必要としない。土台、ヒト、モノ、カネが世界的に自由に交換されるシステムなど非効率に決まっている。
保護貿易が「悪」というのは単なる思い込みに過ぎない。「自由」が大事か「保護」が大事かは、その時々の環境の変化に応じて変わるものだ。ならば、「一人保護貿易」=ヒキコモリだって環境次第で望ましいものになって悪いワケない。
むしろ、「自由」の綻びの兆しは既に出てきている。地球温暖化も、資源価格の高騰も金融危機の後遺症も、レアメタルなどの資源囲い込みもそうだろう。
世界的にヒキコモリ的生活が広がっているのも、最近の映画なども見ていてもよく分かる。移動し、展開して発展することが夢や希望でなくなりつつある。もはや海外留学など今時流行りの「リスクを取る」ことでさえない。
そもそも明治維新から150年もたっていまだ坂本龍馬に憧れている日本人というのは一体何なんだろう。「成功体験」の定型化以外何物でもない。
ちなみにこれからの世界をリードする人間が日本から出るとしたら留学組ではなく、国内ヒキコモリ派だと思っている。留学組は何か、周回遅れなのだ。彼らはある意味楽だ。「海外」がいまだ模範として存在してくれているのだから。けれど、模範がなくなった世界で彼らは恐らく無能だろう。
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