辺野古沖基地は大津波で壊滅する

津波想定なく「心配」 辺野古アセス 審査会委員(琉球新報)

琉球大学教授(環境防災工学)の仲座栄三委員は「津波災害時の記述が全くない。福島原発事故のこともあり、非常に心配だ」と発言。宮城邦治会長は1960年のチリ地震による津波で、名護市大浦でも高さ3・85メートルの津波を観測し、真喜屋では3人の女性が犠牲になったことに触れ、「(基地のような)構造物ができれば、あの当時と違う潮流ができて、影響を受ける」と指摘した。
準備書に対する住民意見の中には「自然災害によって受ける影響についての想定と対策を記述するべきだ」との意見があった。対する評価書での事業者側の見解は「災害時の影響については環境影響評価の対象ではないことから、準備書には記載していません」だった。
琉球大学理学部教授の大出茂委員は「辺野古琉球海溝に面していて、海溝型の地震が起きらないとも限らない。もし、造られた基地に劣化ウラン弾放射性物質が貯蔵されていた場合、津波が来たら全てが消失することになりかねない」と警鐘を鳴らした。

歴史を辿ればそれどころじゃない巨大津波が同じ沖縄県であった。
八重山の明和大津波(1771)日本近海での歴史上最大級津波災害
明和八(1771)年八重山列島地震発生、遡上高85.4mの津波が押し寄せた

明和8年(西暦1771年)旧暦の3月10日午前8時頃に、八重山列島東方沖で地震が突然発生、津波の遡上高は最大85.4mに達した。石垣島での被害は多大であった。死者8,335名、海水に洗われた総面積は8,000町歩、石垣島総面積の40%に達したと言われている。さらに、宮古島などの島々でも被害を出し、当時の人口が2万9千人であるのに対し、犠牲者は9千名を越えた。わが国災害歴史上、最大規模の災害をもたらしたことになる

明和の大津波
牧野清著『明和の大津波』によると、地震発生日時は一七七一年四月二十四日午前八時ごろ、位置は白保崎の南南東約四十キロの海底で規模はM7・4。それに起因して石垣島を巨大津波が襲った。
先にNHKで放映された亜熱帯総合研究所のシミュレーションによると、津波地震発生後七分で襲来し、標高三十五メートルまで洗い流したとしている。
しかし、牧野氏が古記録に基づき実地踏査して著した『明和の大津波』によると、白保と宮良の中間にある嘉崎浜一帯から侵入した津波は、牧中の頂上近く八十五・四メートル地点まで到達し、島周辺の低地に所在する住宅や田畑をことごとく飲み込んだと記す。
古記録は、津波襲来直後の被害を克明に調査して琉球王府に報告した写本であることから信ぴょう性は極めて高いと思われる。それによると、被害面積は島の四〇%に及び多くの集落が壊滅。死者は八重山群島で人口の三割に当たる九千三百十三人に達した。
これまで明和の大津波の被害状況を誇大視する向きもあったようだが、今回のインド洋津波の実像を見ると、明和の大津波もほぼ同様な惨状を呈したであろうことが容易に推察し得る。
八重山毎日新聞 2005年1月22日(土) )

こりゃ、辺野古沖への基地移設は駄目だろう。八重山諸島でこんなとんでもない大津波が襲ったのなら沖縄本島に同じ規模の大津波が襲っても不思議じゃない。
普天間基地東シナ海に向いているが、太平洋岸の辺野古沖の埋立地じゃひとたまりもない。「抑止力」は大津波で木端微塵だ。思えば、昨年の東日本大震災でも、航空自衛隊松島基地仙台空港があっと言う間に壊滅した。
今からでも遅くないから、普天間基地移設先はやはり種子島だろう。代替基地の核心部分となる現在の種子島空港は標高234mだ。巨大津波でも大丈夫だ。おまけに近くの無人島、馬毛島ならオスプレイの離発着訓練にも最適だ。沖縄県民は大震災の教訓を盾に県外移設を主張すべきだろう。
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