「東大話法」の淵源を辿ってみる

安冨歩氏原発危機と「東大話法」傍観者の論理・欺瞞の言語で展開された「東大話法」がスマッシュヒットしているらしいが、個人的には「以前聞いた話」というか既視感がある。
朝まで生テレビ」がまだ今ほどしおらしくなかった1987年から90年代にかけて、同じようなことが言われていた覚えがある。当時、週刊誌の連載4コマ漫画で朝生常連パネリストだった栗本慎一郎舛添要一らしき人物が「おまえはバカだ!」「おまえこそバカだ!」「ワァーー!」「ギャンギャンギャン!」と喚き合いしていた。
今から思えば、これだって「朝生話法」と言えるだろう。
さらに時代を遡れば、東大全共闘時代にまで逝く。あの頃のアジ演説やアジビラというのは東大話法の原型とも言えるから、「全共闘話法」と言い換えるのも可だろう。著者の言う「立場主義」も「我々は○○の立場から彼らを糾弾する」なんて言葉は有り触れた常套話法だった。
思えば、朝生で口角泡飛ばしていた多くは全共闘世代だったし、本書で一番の好例として取り上げられている池田信夫ブログのエントリーは前々から「まるでアジビラみたいだなあ」と思っていた。エントリーは変われど中身はほとんど同じことの繰り返し、書評だって結局、最後の三行でアジビラに変身するという芸まである。
最近では「トリックスターとしての山本太郎」というエントリーまで上げられているが、脇役俳優の山本太郎氏まで利用するというのは段々ネタ枯れの気配がないでもない。大体、山本太郎氏をトリックスターとするのはなんか間違っている。単に「道化」という意味のつもりらしいが、本来のトリックスターというのは、秩序破壊者であり、火を盗んだプロメテウスらに代表されるもの。原発話法で言えば、原発推進派にこそふさわしいとは思うのだけれど。気がつけば、池田信夫氏本人がトリックスターである可能性もあるとは言えないことは一概に言えない。
さらにさらに遡れば、京都学派が論争を巻き起こした「近代の超克」論争にまで行き着くのだろうか。著者の安冨歩氏が京都大学人文科学研究所(今様京都学派)出身、それに推薦文を贈っている小出裕章京都大学原子炉実験所助教となぜか京大話法vs.東大話法化している点でも、伝統は継承されているのかもしれない。
ちなみに安冨氏は元々アゴラ学派だったらしいが、脱北したらしい。そう言えば、当ブログでも「ほらほらアゴラが北朝鮮化してきた」というのを書いていた。

「前提は正しい事実認識です」とは、「前提は池田信夫の方針に沿った認識です」ということなのに、空気読めなかったらしい。よくある手口なんだね。「自由な議論」をリトマス試験紙にしてあぶり出す手口。

なんて書いていたのを思い出したのだけれど、今思えばこれも「東大話法」だったんだろう。
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