自然放射線と原発起源放射線とは振る舞い方が全然違う

LNT仮説を採用すべき本当の理由はここにある。
世間では福島第一原発事故による放射性物質の汚染と、自然放射線を同一線上にみなす論調があるが、これは間違っている。両者の放射線量を譬えてみれば、自然放射線量は預貯金金利のようなもので、ハイパーインフレーションでも起きない限り、金利が一気に10倍、100倍になることはない。新幹線で東京から大阪に移動する間に変動幅は最高値は最低値の5倍ほどになるそうだが、一か所にいる限り基本的にそれほどの変化は起きない。精々、隣にコンクリート製のビルが建てば少し多くなる程度だろう。
また、インドのケララ州のように自然放射線量が日本よりはるかに高い地域でも癌死亡率に有意な差は見られないから大したことないというのも誤り。ケララ州は先祖代々同じ地域で暮らしており、世代を重ねるにつれて放射線被曝に対する耐性を備えている可能性があるからだ。言わば、日本で熱中症患者で死亡者が出ても、元々暑い熱帯地方で熱中症患者があまり見られないのと似たようなもので、遺伝子を修復する能力が他地域より大きい耐性を身につけている可能性がある。もし確かめるなら新たに他の地域からケララ州に移住させて長期間調べるしかないが、これは人体実験になるので許されないだろう。
ところが、原発からまき散らされた放射能は上場したばかりの新興市場の株価のように大きく変動し、運が良ければ大儲けできるのと同様、運が悪ければ想定をはるかに超える放射線量を浴びてしまうリスクが大きくなる。自然放射線量と違って常に不安定でボラティリティが高いのだ。同じ放射線でも振る舞いが全然違うのだ。
故に、文部科学省の放射線量等分布マップを見て、線量の低い地域は安心だということにはならない。地図で色分けされているのは空間線量というそれ自体平均的な目安に過ぎない。風の悪戯でほんの瞬間的にも平均の10倍くらいに跳ね上がることもあるし、環境濃縮で知らないうちに線量が高まっているホットスポットもゲリラ的に発生する。
言わば、新興市場の平均株価で安心、危険を判断しているようなものだ。実際には平均的に「安全」と塗りつぶされた場所にも“銘柄”によっては10倍、100倍に上がるスパイキー・スポットも存在し得る。
となると、仮に100ミリシーベルト以下の低線量域のどこかに閾値があったとしても、場所によってその閾値を超える場所があるかどうか探索するのは不可能に近いし、時間的経過で一時的に閾値を超える時も特定できない。仮に閾値が科学的に特定されても事実上意味がない。確率的には低線量域でも実際にはロシアンルーレット領域、譬えてみれば、放射能の地雷地帯で生活するようなものだ。しかも、地雷は動かないが放射能地雷は絶えず動き、現れては消える厄介な地雷だ。
このことは内部被曝でも同様で、内部被曝検査も、あくまで身体全体の平均値検査であり、体内の一部では閾値を超えて内部被曝している部分もあり得るのだ。
このため、仮に閾値が想定されてもリスクヘッジとしてLNT仮説を採用するのは確率的正統性がある。
Clickで救えるblogがある⇒にほんブログ村 ニュースブログへにほんブログ村 環境ブログへ