日本の絶対神日本国憲法は打倒しなければならない

橋下徹大阪市長が維新八策で憲法改正に触れて「非現実的」という向きもあるが、国民主権の筈の日本国憲法を改正しようということ自体が「非現実的」呼ばわりされること自体が異常だ。こんな異常な国、世界を探してもないだろう。
日本では、天皇が象徴として実質元首の位置を占めているが、実は怖れ多くも天皇のさらにその上に「日本国憲法」という非人格の事実上の絶対神が君臨しているのが実態だ。所謂不磨の大典だ。
日本は、明治以降、天皇を疑似的な現人神に祭り上げられたが、戦後の人間宣言の後、それに交代するように日本国憲法が「現人神」化してしまった。
1970年、三島由紀夫自衛隊員に向かって「自分たちを否定する憲法に体当たりして死ぬ奴はおらんのかあ」とぶちまくったが、たかが文書に過ぎない憲法下剋上をして天皇になり変わって天皇然として振舞っているのを我慢ならなかったからに相違ない。
あれから幾星霜、安倍晋三首相当時、ようやく憲法改正のための手続き法を国会に通したが、半世紀以上も改正のための手続き法が整備されていなかった事実には驚愕する。最初から憲法改正は「想定外」だったのだ。日本の憲法学者と称する連中は学者と言うより憲法神学者で、こともあろうに「改正が必要でなかった」といけしゃあしゃあと言って恥じることもない。
そして、今、やっと「全ては憲法9条が原因」と言ってのける政治家が出てきた。彼の言う「改正は現行の両議院の3分の2以上から両議院の過半数」に緩和するというのは、実は一番現実的な「絶対神」打倒の一歩だ。
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