1Q84年には気候変動という言葉が存在した?

今頃、村上春樹の「1Q84」を文庫本で読んでいるわけだが、この小説、1984年の日本を舞台にしている割に時代設定がかなりアバウトだなあ、と思っている。
BOOK1で「ペットボトル」が捨てられている場面があったが、日本で清涼飲料水のペットボトルが導入されたのは1983年。しかも、当時はコカ・コーラ1社だけの導入で、1984年4月時点でそんなに当たり前のようにあちこちに空きペットボトルが落ちているとは思えない。いくら1984年からずれた1Q84年であってもだ。
さらにBOOK3にまで読み進むに及んで、第20章には、こんな奇妙な表現があるのを発見。

気候変動による旱魃があり、洪水があり、飢饉があった。(133頁)

「気候変動」? これは青豆がNHKの正午と午後7時のニュースをチェックしている描写だが、専門家レベルはともかく、NHKのニュースレベルで「気候変動」という言葉が使われるのは1990年あたりからだろう。特に1992年の地球サミット気候変動枠組条約が採択された辺りからの話だ。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立されたのは1988年。そもそも地球温暖化という言葉が気候変動の主因として頻用されるのも1988年あたりからだ。地球温暖化に関する初めての世界的な学術会議が開かれたのは1985年だ。
いずれにしても「気候変動」という言葉がこれらに先駆けて1984年にがNHKニュースで流されることはなかったろうし、ましてや旱魃や洪水、飢饉と関係付けて語られるのは1990年以降だろう。
1Q84のQはquestionのQだそうだが、このQは文字通り事実関係に関する疑問になってしまっている。
まあ、全体的な印象としてこの小説はファンタジーサヴァン症候群、クライムサスペンス、ラブストーリー、エロ小説、過激派残党、東電OL殺人事件、必殺仕置人オウム真理教などの新宗教ネタと何でもてんこ盛り小説なので、いちいち文句言っても仕方ないのだけれど。いやしくもノーベル文学賞候補作家なのだからもう少しキチンと書いてもらえないものか。
Clickで救えるblogがある⇒にほんブログ村 環境ブログ 環境学へ