借金依存症と化石燃料依存症

基礎的財政収支、11年度に3兆9000億円の赤字 諮問会議で試算(日経) 政府が掲げる2011年度の国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)黒字化が一段と困難になっていることが22日夕、明らかになった。日本経団連御手洗冨士夫会長ら経済財政諮問会議(議長・福田康夫首相)の民間議員は同日夕の会合に、日本経済が一定程度の成長を保った上で歳出削減が順調に進んだ場合でも基礎的財政収支が3兆9000億円の赤字になるとの試算を提出。従来の想定から赤字幅が拡大し、増税なしでの財政再建に黄信号がともった格好だ。
これ、増税の煽り記事だけれど、財政赤字は現時点で1083兆円を超えている。国民1人当たり848万円。
借金といえば、
サラ金の問題は、アル中と基本的に同じだ。多重債務の原因は借金への依存症なので、これを直さないで借金を禁止するのは、昔のアメリカの「禁酒法」と同じで、問題が地下に潜って犯罪の温床になるだけだ。いくら闇金を取り締まっても、資金需要がある限り問題は解決しない。必要なのは金利規制ではなく、債務を整理するカウンセリングである。いくら闇金を取り締まっても、資金需要がある限り問題は解決しない。必要なのは金利規制ではなく、債務を整理するカウンセリングである。(池田信夫blog:後藤田正純「消費者庁長官」なんていらない)
のように、確かにアルコール依存症と借金依存症には類似性がある。アル中が肝硬変になるリスクを考えないように返済計画なんて最初から考えないのが借金依存症だ。
共通するのはとりあえず今が大事で、今をしのげば何とかなるさという楽観主義を偽装した場当たり策。禁酒法アルコール依存症対策ではないので上限金利を撤廃したから借金依存症が減るとはとても思えない。アルコール度数の高い飲料を酒税免除で販売したからといってアルコール依存症が減るわけないのと同じ。
しかし、必要なのは債務を整理するカウンセリングであることは確かで、これは日本政府にもあてはまりそう。増税したから借金依存症がなくなるわけじゃない。
借金漬けといえば、大気中の人為起源二酸化炭素も累積赤字は産業革命以降、単純計算で200Gt以上になる。(参考)人類そのものが化石燃料依存症状態なのだから、根本的にはここに手をつけないと、人類は肝硬変で滅亡しかねない。洞爺湖サミットの宣言というのは「酒は半分に控えた方が健康によさそうだ」程度の話で、事実上化石燃料依存症対策は全くない自由化のまんまというのが現実。排出量取引なんて休肝日を設ける程度のもので、とても肝硬変の予防にはならない。
炭素本位制というのは、炭素収支の基本的なプライマリーバランスの回復を目指すメカニズムなんだが、依存症というのは破滅型人格が根底にあるので現実は恐ろしく厄介だ。
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ジャージの二人

ジャージノ二人公式サイト長嶋有原作、中村義洋監督。堺雅人、鮎川誠、水野美紀大楠道代田中あさみダンカン。気温35℃と20℃の断絶。避暑をするにはこれほどの映画はない。ミニストップはソフトクリーム、氷菓類がとみに充実していることだし。監督もそれを知ってか、ミニストップを基点にしている。
本番の舞台は群馬県の高原地帯の別荘。群馬の高原が舞台と言えば小栗康平監督の「眠る男」を思い出す。もう12年前の作品だ。
今度の作品も眠ってはいないけれど、何もしない、する気が起きない、という点でどこか通じるところがある。シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠演じる父なんて特にそうだ。
浅間山山麓の高原キャベツ畑で手を掲げる少女。それを手を振っていると勘違いしてしまうところがこの何もしない物語の象徴シーン。携帯が通じる場所はここだけらしいが、会話の通じなさ、会話の不在を大自然をバックに美し過ぎるぐらいに描写している。
あいさつには来るけれど「中でお茶でも」と何度誘っても決して入ろうとしない別荘のご近所のおばさん。魔女じゃないかって父に言われるのだけれど、「西の魔女」じゃあるまいし。だけど、何気にか雰囲気が似ている。原作は読んでないが、この人、原作にもいたのだろうか。
イノシシ注意とか看板あって、息子もたびたび道に迷って恐怖を味わう。これも息子の心象風景を表すための仕掛けなんだろうけれど、現実にはイノシシよりクマ出没注意でもっと怖いと思う。イノシシだけでなく死の恐怖はさりげなくちりばめられていて、突然、ピアノ教師が死んだり、愛犬に癌細胞らしきものが出るとか。
ピアノは置いてあるのにビデオデッキがないとはこれいかに。父の教育方針、ではないだろう。ピアノはいいがややこしい機器は嫌でもないだろう。単に父が買おうと思いつかなかっただけというか。父は1年後、携帯を買っているところを見ると、そんなぬるさを感じる。「ジャイアントなんたら」と同じノリだ。ちなみにジャイアント馬場も軽井沢に別荘持っていた。
避暑地の出来事」のように避暑地では必ずロマンスが起きるというのが定番だったけれど、いまや避暑地は現実逃避、避難場所となった感が強い。もう出会いの場ではなくなった。
ジャージは、つまるところ人生のリセット、あるいはリセットを偽装した現実逃避か。妻だけ別荘のを使わないところがアレだ。娘も。女性にはこういう感じに拒否感あるのだろうか。
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