ジャージの二人

ジャージノ二人公式サイト長嶋有原作、中村義洋監督。堺雅人、鮎川誠、水野美紀大楠道代田中あさみダンカン。気温35℃と20℃の断絶。避暑をするにはこれほどの映画はない。ミニストップはソフトクリーム、氷菓類がとみに充実していることだし。監督もそれを知ってか、ミニストップを基点にしている。
本番の舞台は群馬県の高原地帯の別荘。群馬の高原が舞台と言えば小栗康平監督の「眠る男」を思い出す。もう12年前の作品だ。
今度の作品も眠ってはいないけれど、何もしない、する気が起きない、という点でどこか通じるところがある。シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠演じる父なんて特にそうだ。
浅間山山麓の高原キャベツ畑で手を掲げる少女。それを手を振っていると勘違いしてしまうところがこの何もしない物語の象徴シーン。携帯が通じる場所はここだけらしいが、会話の通じなさ、会話の不在を大自然をバックに美し過ぎるぐらいに描写している。
あいさつには来るけれど「中でお茶でも」と何度誘っても決して入ろうとしない別荘のご近所のおばさん。魔女じゃないかって父に言われるのだけれど、「西の魔女」じゃあるまいし。だけど、何気にか雰囲気が似ている。原作は読んでないが、この人、原作にもいたのだろうか。
イノシシ注意とか看板あって、息子もたびたび道に迷って恐怖を味わう。これも息子の心象風景を表すための仕掛けなんだろうけれど、現実にはイノシシよりクマ出没注意でもっと怖いと思う。イノシシだけでなく死の恐怖はさりげなくちりばめられていて、突然、ピアノ教師が死んだり、愛犬に癌細胞らしきものが出るとか。
ピアノは置いてあるのにビデオデッキがないとはこれいかに。父の教育方針、ではないだろう。ピアノはいいがややこしい機器は嫌でもないだろう。単に父が買おうと思いつかなかっただけというか。父は1年後、携帯を買っているところを見ると、そんなぬるさを感じる。「ジャイアントなんたら」と同じノリだ。ちなみにジャイアント馬場も軽井沢に別荘持っていた。
避暑地の出来事」のように避暑地では必ずロマンスが起きるというのが定番だったけれど、いまや避暑地は現実逃避、避難場所となった感が強い。もう出会いの場ではなくなった。
ジャージは、つまるところ人生のリセット、あるいはリセットを偽装した現実逃避か。妻だけ別荘のを使わないところがアレだ。娘も。女性にはこういう感じに拒否感あるのだろうか。
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