集団的自衛権なくして日米安保は成り立たない

たとえば日本近海で自衛艦J、その近くに米海軍艦艇Aがいて、そこに日米に対して実力で劣る敵国の艦艇X、Yが近づいてきたとする。もし集団的自衛権が認められなかった場合、敵国はまず自衛艦Jを無視してX、Yとも2隻で米艦艇Aに攻撃をかけるだろう。いくら米艦艇を攻撃しても自衛艦はただ見守っているだけと分かっているので安心して米艦艇攻撃に専心できる。
米艦艇は2対1のハンディキャップ戦を強いられ、撃沈されるリスクが高い。敵国艦艇2隻は米艦艇を撃沈もしくは行動不能に陥らせた後、今度は自衛艦Jに向かってくるだろう。またしても2対1のハンディキャップ戦。自衛艦Jも撃沈される可能性大。
最初からAとJが共同作戦を組んでいれば、実力的に敵国艦艇X、Yを圧倒して撃沈できたのだろうが、集団的自衛権があったために実力的に優勢な場面でも宝の持ち腐れで負けるはずもない場面でも負けてしまう。
こんな滑稽なことがあれば、そもそも日米安保って何だということになる。巷間言われるように米艦艇に避難する日本人が輸送されていた場合とか、そんな問題ではない。根本的に馬鹿げているのだ。
このように「歯止め」だの「限定」だの、縛れば縛るほど戦争を回避することができると思い込んでいる人たちが日本には多数いるようだが、繫文縟礼的な歯止めが多ければ多いほど敵国を利することになり、却って安全が脅かされるリスクは高まる。「こんなに歯止めかけてくれれば攻撃し易いよね。なら攻撃しちゃえ」ということになり、戦争が起こりやすくなる。
一部では集団的自衛権憲法解釈の変更するなら、堂々と憲法改正しろ、なんて声もあるが、今更何を言っているのか。そんなもの50年遅い。今だって、自衛隊は「違憲」であることに何の変わりもない。「憲法解釈の変更」で「合憲」ということになったのだ。憲法改正する気などさらさらなかった癖に何をたわごと言っているのか。そんな連中はいざ、憲法改正しようとすれば必ず反対する。改正する気もない癖に何が「憲法改正したうえで」だ。ちゃんちゃらおかしい。
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