文民統制の喜劇

前回のエントリーの補足である。
自衛隊の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、制服を脱ぐ前に行え」。なぜなら制服を脱いだ途端、その声は凡百の論壇の声の中に埋没してしまうのである。
ところで、田母神前空将のしたことは、「軍人勅諭」の観点からも、おかしなものであろう。何故、彼は、「世論に惑わず政治に拘わらず」を平気で破ったのであろうか。「職を賭して問題提起をした」などと擁護する向きがあるかもしれないいけれども、それをいうのであれば、二・二六事件も、若手将校が命がけで行った「問題提起」であったのではないか。(雪斎の随想録:世論に惑わず政治に拘わらず)
ところで軍人勅諭とは何だったのかといえば、その忠節とは、統帥権者たる天皇への絶対的忠節を命じた書で、「世論に惑わず政治に拘わらず」とは、事実上、政治からの独立性、政治の上に君臨することを保障したものと解釈されてやがて軍部独走を招いた代物だ。それをまた利用して田母神俊雄前空将の論文が軍人勅諭違反となるのだから、噴飯物と言うしかない。[追記]ちなみに雪斎氏は後のエントリーで、痛いところをつかれて動揺したのか意味不明な言い訳がましいことを書いている。まさに薮蛇である。
このように、そもそも軍人勅諭文民統制(シビリアンコントロール)に反した代物なのだが、田母神氏が受けたバッシングは政府見解との相違⇒文民統制違反なのだから訳が分からなくなる。なぜ訳が分からなくなるかと言えば、田母神氏の主張は文民統制されようにも文民統制に足る法律も整備されておらず、文民の不作為で事実上の文民統制放棄状態が続いているということなのだから。
早くまともな文民統制して欲しいと主張している人に「政府の意見が割れているように思われる。文民統制の点でも好ましくない」(石破茂農水相)と批判するのは「文民統制して欲しいと制服組が主張するのは文民統制に反するから更迭」と言っているに等しいからほとんど喜劇なのである。
ちなみに、 雪斎氏のエントリーの導入に引用されている阿南惟幾という人物は陸軍大臣になって雪斎氏流に言えば軍人勅諭に反して政治の世界に上り、陸軍の暴走を阻止できなかった典型的軍部官僚だ。
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