プロレス化している地球温暖化論争?

SGWさんの温暖化いろいろ討論会の報告を拝読し、つくづくそう思ってしまった。さしずめ槌田敦氏は今だにヒールのヒーローらしいのに驚く。
槌田氏の本はだいぶ前に1冊だけ読んだことがある。10年以上前のことで、もう書名すら忘れたがが、あまりの訳分からなさに呆れたことだけは覚えている。
原発に関したことで、要約すると、原発は燃料のウラン鉱を採掘したりする過程などで化石燃料を消費し、他の燃料に依存しているから1人前の燃料じゃない、とか、そういう趣旨のものだった。
こんなこと、全くのナンセンスなのだが、真面目に書いているのだから呆れてしまった。
更に呆れたことは、そんなトンデモ学者さんが今もご活躍で、著書も連発されているということだ。SGWさんの報告では、子細は分からないが、相変わらず、ああ言えば上祐状態らしく、大体は想像できる。
思うに地球温暖化論争というのは、立証が難しいために、下手するとタケシの大晦日特番状態になってしまうようだ。
懐疑派を長らく続けると、やがて懐疑派を続けていなければ存在意義を失い、商売にならなくなる。懐疑派であること自体が自己目的化する。
会議の主催者も、そうした人たちがいてくれないと盛り上がらないw なんか、ショーアップするためにこういう人々を重宝しているのかしらん。
じゃあ、こういう人々は退場願うとなると、会議自体が盛り下がり、注目を集めなくなり、ひいては世間の温暖化への関心も薄れる。
国会でのショーアップもそうだけれど、世の中、すべてがメディア露出戦略が最重要視されるようになり、その波はアカデミックな世界にまで及んでいるようだ。
だけど、国会の空転同様、地球温暖化問題も空転して気が付けばもう遅かったなんてことにならないのだろうか。
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