ディープエコロジーという過激宗教

内田樹の研究室:与ひょうのロハス
エコロジカルにたいせつなのは地球環境であって、地球のためならできれば人類は存在しない方がいい、というのがヘビー・ディープ・エコな考え方である。
私はこの考え方は一理あると思う。
少子化傾向とかジェノサイドというのはどこかに「人類なんかいなくなった方がましだ」という虚無的な欲望を伏流させていて、その点ではディープエコに通じている。

いや、一理すらない。
一理あると錯覚してしまうのは、己を超越的なサロンのソファに座らせて思考遊びに現を抜かしているからだ。ま、思考も遊びの一種だから「思考遊び」なんて言っても詮無いけれど。
「地球のためならできれば人類は存在しない方がいい」と思う人はどうぞ率先垂範、自殺してもらいたい。日本で自殺が増えているのも「人類なんかいなくなった方がましだ」という虚無的な欲望の発露かもしれないから、先般成立した自殺対策基本法なんて噴飯物と反対すべきだったろう。
あっさり言ってしまえばディープエコロジーというのは、既存宗教に見られる「来世」に「地球」を代入しただけのことだ。
なぜ「来世」に成り代わって「地球」を絶対化したのかというと、近頃、「来世」が流行らなくなってきた。平たく言えば、生活が豊かになり、人々の「現世」の占めるシェアが百年前、千年前に比べてはるかに大きくなり、「来世」がどんどん影が薄くなってきたからだ。
これは今に始まったことでなく、実は人類が脳を発達させてからその傾向は続いている。脳が発達すれば脳内に「永遠」を作り出せる。来世の概念もその一つだが、現世すらその一つだ。他の動物で生涯設計考える動物なんているだろうか。予め人生時間を想定して生きること自体が擬似永遠化だ。他の動物はそんな暇ないのだ。
脳が豊かになることによって、「現世」は他の動物と比較にならないくらい豊かになったと想像できる。いや、違うかもしれないが、少なくとも情報量において圧倒的にそうだろう。そもそも「地球の大気に酸素が2割もある「異常事態」は、生物による「環境破壊」の最たるものだ。(404 Blog Not Found)と言っても、「異常事態」も「環境破壊」も人類の脳内で始めて発生したものだ。
じゃあ、なぜ脳が大きくなったかと言えば、これも人類にとっての環境が豊かになり、その分、安全に生きられる確率が大きくなったので、脳が余計なこと、つまり直接的に種の保存に結びつかない遊び的思考をするようになったからだと踏んでいる。他の動物だって少しはやっているのだろうが。
その結果、「現世」を犠牲にしてまで次世代を育てるモチベーションが低くなった。子育てはコストと手間がかかるもんな。そうすると、人類は現世の中で更に余計な、面白いことを考えるのに現を抜かすことになり、ポジティブフィードバックすることになる。少子化傾向は「現世」の豊かさによる現象なのだ。
そして現在では、もう一つの「永遠」、「来世」すら必要でなくなるほど豊かになった。
一方で、今でも「来世の至福」のために自爆テロをする人々がいる。しかも大型航空機を使って高層ビルに突っ込んでまで。過激な「来世」信仰は「現世」の過激な不幸の裏返しだ。
私は世界で起きているテロは、追い込まれた来世派による現世派への抵抗戦だと思っている。現世派だってキリスト教徒じゃないかという向きもあるだろうが、現在の「穏健」な宗教は社会秩序の安定化装置(そりゃ昔からそうだったのだけれど)であって、来世の至福という仮想至福は昔のような生々しさを喪失している。
で、ディープエコロジーは干からびた「来世」を瑞瑞しげな「地球」に置き換えて「現世」を否定するわけだ。
wiki/Deep_EcologyDeep ecology is misanthropyの項には、少子化との関連も紹介されている。

Some critics contend that deep ecology is misanthropic, in that it advocates a reduction in human population. Deep ecologists' views on the natural role of epidemic disease and famine have been interpreted negatively to support this position. Deep ecologists would defend themselves against charges of misanthropy by pointing out that population reduction can be achieved by lowering birth rates. Deep ecologists would also counter that scarcity increases value and excessively high populations decrease the value of the human individual. This second counter-argument is viewed as even more misanthropic because it claims that individual human life is devalued to begin with.

Misanthropy(厭世)は来世志向に通じている。来世志向だけなら害悪はないかもしれないが、そこには必ず殺意が隠されている。地球を神に仕立て上げてテロを起こすことも有り得ない訳でないし、かなり乱暴だがそれもどきのB級小説をマイクル・クライトンも書いている
「人類なんかいなくなった方がましだ」という人々は、要するに現世で不幸過ぎるか、幸福過ぎるかのどっちかだろう。凡人には関係ないし、ましてや凡人の少子化とも関係ない。

虐げられたプロレタリアートの独裁⇒虐げられた地球の独裁

なんか探せば似たようなもの色々あったなあ。
しかし、少しだけディープエコロジーを弁護すれば、「地球」を擬人化した方が分かりやすいということだろう。英語の仮主語みたいなものだ。「地球環境を法人化」すれば、地球の権利を守れる。日本でもアマミノクロウサギを原告にした裁判があったが、これなどはポジティブな応用編だろう。
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