国家公認いじめと非公認合法いじめ

中国で文化大革命が起きた時、僕はちょうど少年時代でした。僕はこの動乱の中に巻き込まれました。先祖が商売をしていた理由で、資本主義に染まった家族の一員であるとして、僕は周囲の友達から差別を受けました。これは、国の奨励の下で行われた、いじめでした。先生も正々堂々と、このいじめに加担しました。
 でも僕は、この時に「死にたい」と思ったことは一度もありません。
僕にとって、家と家族は逃げ場だったのです。玄関を閉めると、そこは別の世界がありました。家族はけして「頑張りなさい」とは言いませんでした。「皆が狂っている。こんな世の中は長く続くわけがない」と毎日のように父や母は僕に声をかけてくれました。
 これは励ましになるのかもしれませんが、けして「今のこの状況に同化しなさい」と諭したのではなく、「周囲が狂っている。あなたは間違っていない」ということを言い聞かせてくれたのです。

文化大革命での犠牲者は数百万から2000万人と言われている。期間を15年間としても大雑把に年間100万人が殺されたことになる。当時の中国の人口6億人としてもその犠牲者は年間600人に1人の割合だ。日本の自殺者は今年間3万人と言われているが、大体4000人に1人の割合だ。
自殺しなくたって外部から殺されるかもしれないという状況では、自殺など考える余地もないのではないか。よく言われることだが、戦争中は自殺者が少なくなる傾向があるようだ。死は内面にあるのではなく、外部に歴然と見えていると、自殺など思いもよらないのかもしれない。
もちろん、文化大革命でも多数の自殺者が出ている。彼らは「空気」どころか国家が扇動した「嵐」に巻き込まれて自殺した。その風圧は日本社会の「空気」の比ではなかろう。おおっぴらに処刑、いじめ殺しが堂々とまかり通る世界と日本とではあまりに事情が違いすぎる。
中国においては今なお、国家の統制で堂々たるいじめが行われ、昨年、日本人レストランなどが被害にあったばかりだ。
日本の「空気」は気候同様、湿気を多く含み、陰湿だ。陰湿さの特徴は常に反撃未満程度に按配を計って持続的に行われるためにストレスが慢性化する。気候的に言えば、屋内熱中症、夜になっても寝苦しく、安堵する暇さえないのだ。相手は殺してくれない。殺さない程度に合法的に痛めつける。日本においていじめすら法の関知できない境界線においてなされる。
この陰湿さに我慢するのをやめて何かいいことあるのかと言えば、やーめた、とおさらばしても、陰湿の特徴としてまとわりついてくる。転校しても、かなりの確率で同じようにいじめに会うだろう。
唯一の方法は湿気を取り払うことだ。
怒鳴る。喚く。場合によっては乱暴する。これらの行為は一気に空気を乾燥させる効果がある。
日本は、中国やアメリカと違って乱暴な行為が無条件に否定されている。その癖、本当の乱暴者は見て見ぬふりで敬して遠ざけられている。平和主義、憲法九条、非核三原則、これらは全ていじめに間接的につながっているように思える。偽善がはびこる分、悪意が内面化され、ベンチレーターがないためにいじめる側もいじめられる側も陰湿化してしまう。
陰湿も我慢の限界に達すると、雷雨のにわか雨になるように、一気に殺人か自殺になる。
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