有名ブログにおける称賛と罵倒

真性引き篭もり:梅田望夫を信じるな。梅田望夫を疑え。梅田望夫を罵れ。梅田望夫の荒を探し全身全霊を持って叩け。
梅田望夫さんの「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」から始まる最近の一連のエントリーを拝見して、いずれこのような反論が出てくると思っていた。なぜかと言えば、絶対むかついている人がいると踏んでいたので。そして、それにふさわしい人が書いてくれた。
梅田さんの一連のエントリーは流し読みした。流し読むしかないほど冗漫で、退屈だから仕方ない。どこにでも転がっていそうなよくある処世術本と同じ類のものだ。創○学○員が池○大○本を読むようなものと似た現象で、恐ろしいほどの多さのPV、TB、コメント、はてブが集っている。それらとても多過ぎて読みきれないほどのものというのは大抵は読む価値がないから読む必要もないだろう。無理して読めば、体のどこかがむず痒くなるだけだ。
さて、真性引き篭もりのエントリーに戻ろう。
巨人も、柏戸も、玉子焼きも、全ては過ぎ去った古き良き時代の産物である。万民が声を持たず、徒党を組む術を持たず、結び繋がれる事なく、まとまる事なく存在していた時代の産物である。
あえて「大鵬も」にせずに「柏戸も」とするのはなかなかできない芸だなあ、と感心。それはともかく、今だって同じだと思うけれど。
松坂大輔を褒めるふりをして、梅田望夫を称えるふりをして、スティーブジョブスを賛美するを装って、ただ自らを褒め称え、美化しているのである。
汚らわしいことに。
まったくもって汚らわしいことに。
故に即ち、僕は決してmouz.GeIL.Happyを褒め称えたりはせぬのである。

うーむ、けれど「mouz.GeIL.Happyを褒め称えたりはせぬ僕」を褒め称えていないか?
例えば仮に僕が今ここで、全くの無関係である何者か、例えば1日2万PVの人気ブロガーの醜悪さを心から全力で憎み忌み嫌いその薄汚さを完全なまでに罵ったならばそれは何であろうか。そう、YES。
それは自らの悪に対する憎しみであり、自らの汚さに対する罵りであり、自らに対する真のメッセージに他ならない。

自分を罵るとYES、他人を褒めるとNOってなんでだろう。同じ理屈で自分を罵る振りをして他人を罵っていることにならんか。じゃあ、他人を罵る=YESの方がめんどくなくていいと思われ。
僕という人間は、醜さも、汚さも、邪さも臆病さも、それら全てを包括しているからこそ僕自身なのであり、例えば僕が自らの醜さ汚さ邪さ臆病さといった所謂ネガティブさを全て完全に忘れ去り存在しないものとして扱い生きたとしたならば、それはもはや僕自身とは呼べぬ代物なのである。
ハイハイ。
汚さを汚さとして、醜さを醜さとして扱い、全身全霊を注ぎ込み全てを尽くしてその汚さ醜さを語らねば、美しさがが美しさとして全身全霊を注ぎ込み死力を尽くして認められる日は来ないのである。
感動した! そう、真性引き篭もり氏は全身全霊をかけて自分の全てを称えてもらいたいのだ。
仮に「人を褒めろ」とブログにて公言する人間がいたならば、それは「俺を褒めろ」と言っている事に他ならない。
仮に「俺は醜悪だ」とブログにて公言する人間がいたならば、それは「俺は美しい」と言っている事に他ならない。
奴らは何時だって自分に都合のいいブログのみを取り上げ、自分に都合のいい批判のみに応え、自分に都合のよい声ばかりを選別してきたではないか。
禿げ同。ここを読んで思い出したのはあの人の演説だ。
少数派諸君!PVやはてブで何かが変わると思ったら大間違いだ!
所詮PVやはてブなんか、有名ブロガーどものお祭に過ぎない!
我々少数派にとってPVやはてブほど馬鹿馬鹿しいものはない!
PVやはてブで決めれば、有名ブロガーが勝つに決まってるじゃないか!

れれ、真性引き篭もり氏も有名ブロガーだからかなり説得力に欠けるか。
でも群がる人は有名ブログをトラックバックセンターとしてちゃっかり利用している人が大部分じゃなかろうか。私も含めて。
その香水を身に着ける事の出切るだけの優雅な身分や、その香りを選択したセンスを褒められたにすぎず、人そのものを褒められたのでは決して無いのである。
そうすると、人そのものを褒めるにはどうすればいいんだろう。大体「人そのもの」って何よ。分からん。
その魔の手が今ブログに及んでいるのである。即ち。ブログによって暴利を貪る輩がそれを腐らせようとしているのだ。懸命に、自らの既得権益を守りぬく為にのたまうたのだ。奴は、のたまうたのだ。こう、のたまうたのだ。「褒めろ、粗探しをするな」と。
パチパチパチ。←あ、褒めちゃまずかったか?
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