植草一秀被告に好感

セーラー服痴漢プレーは?「何度か」…公判で植草被告の性癖バレた 早大大学院教授、植草一秀被告(46)の第7回公判が18日、東京地裁であり、検察側が植草被告の性癖を洗いざらいさらした。「洗面台の前で制服プレーしたことは」「不忍池近くのショップで制服を買ったか」など、否定の余地もないほどの具体的な質問を矢継ぎ早に浴びせられた植草被告は、渋々ながらも性癖を認めるしかなかった。
泣けてくる。人生の惨さと悲しさと、そしてだからこその喜びを。
植草被告は無罪を主張しているが、ま、この公判の証言は直接的な証拠にはならんと思うけど、裁判というのはつくづく人間の心の機微を機械的なまでに曝してしまう公開私刑の場だと思う。
思い出すのは三島由紀夫豊饒の海」。これ、第1巻は映画「春の雪」でかなりお馴染みになったけれど、全体的には裁判小説だ。
特に第3巻{暁の寺」、第4巻「天人五衰」は元裁判官の痴漢小説と言っていいくらいだ。主人公のヤメ判弁護士が神宮外苑とかで男女の痴態を覗き、わざわざタイのお姫様を覗き見するために別荘まで作った御仁だ。とうとう、ひょんなことから週刊誌記者にかぎつかれて暴露記事を書かれ、恥さらしてしまうのだが。三島は意識的に裁判官にして被告という二重の役割を、しかも滑稽な形で持たせ、シャルル・ボードレールの「創造を志す人は催眠術者と被術者のひとり二役をになわなければならない」(死刑囚にして死刑執行人)を小説に取り入れている。
植草被告は裁く人ではないが、理性の高見から世の中を見下ろす立場のエコノミストだ。その人が恐ろしくも正直な行為を曝されている。刑事被告人以上に醜聞という目に見えない裁判官の被告。
私は、今後、植草被告がどうなろうが、これからも正直に人生を肯定して生きて欲しいと思う。人間は皆、自らの死刑執行人にして死刑囚なのだから。
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