戦死者のアウトソーシング

萱野稔人:交差する領域:第12回 民営化された戦争は国家に何をもたらすか 戦争の民営化といえば、2年前の2005年5月に斎藤昭彦さんがイラク西部で武装勢力に襲われ、死亡したという事件が報道されたことで、ひろく知られるようになった現象だ。当時、斎藤昭彦さんは英国系の警備会社、ハート・セキュリティ社に勤務し、イラク西部にある米軍基地の警護にたずさわっていた。(中略)またどれほど民間軍事企業から戦死者がでても、それは正規軍の損失としてはカウントされないからだ。軍隊における戦死者の数は、国内世論におおきな影響をあたえる。戦死者がおおくなるほど、世論は政府のやり方に疑問をもち、戦争そのものに反対するように、だ。そうした国家の負担を戦争の民営化は緩和してくれるのだ。
調べてみると、斎藤昭彦さんの死亡記録はIraq Coalition CasualtiesではCotractors(請負業者)のリストに入っている。要するに道路建設業者らと同じ扱いということらしい。
ま、「戦争の民営化」自体は「言葉のあや」みたいなもんで、
国家をくみたてるもっとも基本的な要素、つまり暴力が民営化されているからである。
というのは誇張だろう。警備会社とか、やーさんだって民営暴力企業だろう。人間でない武器は、グラマンだのロッキードだのとうに暴力が民営化されている。兵隊だって戦場では実質武器である。兵士の直属が民営会社であっても、基本的に何も変わらない。
大体、正規軍の戦死者のみが世論に影響を与えるというのもどうか。
このcontractorsのリスト見ると、米国人が一番多いにしても、フィリピン人、フィジー人、ネパール人、南アフリカ人とか、およそ当事国と直に利害関係のない出身者がやたら多い。彼らのOccupation欄を見ると、Security contractorとかSecurity guard、Security Specialist、Security Consultantsと記載されているのが多く、要するに出稼ぎ民営化軍隊ということになる。
これは「戦争の民営化」というよりも、戦死者の外国へのアウトソーシングではないだろうか。米国人なら民営軍隊でなく本来の復興請負業者であっても、そのニュースは米国内に伝わるだろうが、彼ら出稼ぎ民間兵は死んでも米国内で一顧だにされないだろう。だから、
そもそも国家が民間企業に暴力の行使を外部委託(アウトソーシング)することができるのは、それだけ安定的に国家が合法的な暴力の源泉として社会のなかに存在しているからである。つまりそれは、国家権力にたいする市場の論理の優勢といったことではさらさらなく、逆に国家の権力の安定性を示すものなのだ。「市場原理の拡大による国家権力の縮小」という図式を民営化にあてはめることはできないのである。
というのには同意できても、その権力はむしろグローバル市場原理と手を携えて戦死者の多国籍化を生んでいる。ちょうど低賃金の発展途上国に工場を移して利益を生むように発展途上国の「低廉な命の値段」を外国に求め、世論によって高値が維持されている自国民の命の犠牲を出来る限り少なくするという「利益」を享受していることの方が重要に思える。
市場原理vs.国家権力というよりも、市場原理&国家権力vs.貧困&発展途上国が実相だろう。
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