「遠くの空に消えた」は実は皆遠くの空に憧れた映画
「主演」の伊藤歩(場違いなほどの都会的美人!)が雲上にまで届く枯れ木に登り、巨大な満月を仰ぎ見るシーンは幻想的で本当に美しい。しかし、ファンタジーの陰に行定勲監督には珍しい政治的メッセージが籠められている。
舞台は1970年代か。場所は既に返還が実現したという設定と思われる北方領土らしき馬酔村。村のあちこちにロシア文字の看板が残り、なんとなく多国籍風なパブにはロシア人女性が働いていてソ連占領時を偲ばせている。
恐らくソ連時代の軍事基地にあった滑走路は自衛隊が使い、いよいよ観光客受け入れのための民間航空路線開設のための空港建設が持ち上がる。
戦前時代の住民は「自然を守れ」を合言葉に東京から来た空港公団と衝突する。当時の沖縄返還闘争、成田空港闘争と現実の無駄な公共投資反対運動とがうまく重ね合わされているのは言うまでもない。
しかし、当然のことながらそのようなことはファンタジーの中のファンタジーで、見る側の勝手なファンタジーともごっちゃになってしまっている。
しかし、空港反対と言っている割に登場人物たちは空への憧れを隠さない。UFOを待ち続ける少女、鳥人間に憧れる女教師、伝書鳩を飼う男、管制塔もどきを木の枝で作り直す少年たち。実は村出身の空港公団の男も含めて飛行機を待望しているのだ。麦を薙ぎ倒して畑にミステリーサークルを描く子供たちは皆、飛行機が来ることを祈っているのだ。
映画で描かれるあまたのファンタジーは皮肉にも空港実現を願うメッセージなのだ。誰も麦畑に夢など持っていない。それが現実だ。ここらへんの痛い皮肉は恐らく行定監督自身も気付いていないだろう。そして現実に飛行機はやって来た。皮肉でもなんでもなく。
ちなみに空港に残されたスニーカーの跡。あれはよほどの手抜き工事でしか有り得ない。
けれど、本物の現実こそファンタジーの如くで、文字通り遠くの空に消えたのは北方領土だ。これも行定監督の想定外であることは言うまでもない。
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