「兵士」になれなかった三島由紀夫と「兵士」になりたい赤木智弘氏

兵士になれなかった三島由紀夫池田信夫 blog丸山眞男をひっぱたけに紹介されていた赤木智弘氏の「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。と、けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──を読んで、三島由紀夫の遺作である四部作「豊饒の海」を思い出してしまった。池田氏のブログのコメント欄にも「希望=絶望と捉える人」と書いておいたが、この四部作の主人公たち、そして三島由紀夫自身も、「希望=絶望と捉える人」なのだから。
別に赤木氏が「しかし、「お国の為に」と戦地で戦ったのならば、運悪く死んだとしても、他の兵士たちとともに靖国なり、慰霊所なりに奉られ、英霊として尊敬される。同じ「死」という結果であっても、経済弱者として惨めに死ぬよりも、お国の為に戦って死ぬほうが、よほど自尊心を満足させてくれる」と、英霊に言及しているからではない。三島由紀夫には「英霊の声」という作品があるが、これは人間宣言した天皇を英霊たちが恨むというもので、赤木氏の思いとは直接関係はないだろう。
むしろ、二・二六事件三部作も残している三島からの連想だ。二・二六事件青年将校の思いと赤木氏の思いが妙に重なるのだ。池田氏も「丸山の同時代の若者があの戦争に突っ込んでいったのも、必ずしも召集されていやいや行ったわけではなく、農村の貧しい少年が戦争で手柄を立てて「一発当てたい」という衝動からだった」と書かれているように二・二六事件が起きた1930年代は農村が疲弊した時代で、現代の格差社会問題に重なる。
青年将校の思いを語ったものとして、二・二六事件の首謀者の一人、磯部浅一の遺稿について、三島は「そのとき単なる希望も一つの行為となり、ついには実在となる。なぜなら、悔恨を勘定に入れる余地のない希望とは、人間精神の最後の自由の証左だからだ。磯部の遺稿は、絶望を経過しない革命の末路にふさわしく、最後まで希望に溢れて、首尾一貫している」(「道義的革命」の論理)と書いている。彼らは「希望」と「絶望」が同義である地点にいた、と三島は解釈している。
豊饒の海」の第一巻「春の雪」も、恋愛小説の形をとりながら、二・二六事件を下敷きにしており、「希望」と「絶望」が同じになる地点で死ぬ。第二巻「奔馬」の主人公は財界首魁を刺殺するテロリスト、第三巻以降の「暁の寺」「天人五衰」は語り部自身が主人公となり、最後にはやはり「希望」と「絶望」が同義である地点、
この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……

という末尾の有名な章句まで行き着く。
三島自身は、農村の青年とは縁もゆかりもない生活をしていて、時代から孤立した文筆活動をしていたが、空襲に「世界崩壊」を夢見ていたことにおいて通底していたと思われる。
人間の思考とはまことに玄妙なもので、「絶望」が深いほど高揚を求めるものだ。その絶望度の度合いは1930年代と現代とでは徐々に近付いているのではないか。
赤木氏と青年将校と同列に並べるなど奇異であることは百も承知だが、それでもなおかなりの度合いで共通性を認めないわけにはいかない。人間は希望を持つから絶望するのであって、希望が絶たれるとその絶望は一挙に希望と融合し、核融合反応のように猛烈なエネルギーの発散を求めるのではないか。赤木氏の希望が単なる英霊として死んだ方がまし、のレベルを超えて「日本崩壊」の次元まで希望と絶望が融合する次元までモーメントを増しているのは間違いないだろう。
中東に見られる自爆テロとは、そのような「希望」と「絶望」を核融合のように爆発させる人々ではないか。彼らは本気でイスラムの「あの世での幸福」を信じているとは思えない。そう信じるのは絶望を希望に変換せざるを得ない状況があるからだろう。ちなみに「三島由紀夫とテロルの倫理」では、三島由紀夫楯の会と9・11同時多発テロの実行犯アタ容疑者らと比較した件もある。
問題は、為政者たちが、どこまで深刻に受け止めているかだろうが、いつの時代でも為政者は基本的に既得権の味方であり、基本的に暢気で鈍感なことはいつの時代も変わりがないようだ。
なお、「大義と他者のいない時代の自殺 」でも貼った
大義についてのインタビュー↓(削除される可能性アリ)

も、赤木氏の思いにかなり近いと言えるだろう。
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