政治の場では正論は超少数派の役割

雪斎の随想録:民主党が「テロ黙認政党」と看做される悪夢 ロシアは棄権したものの、中国も文句を言いながらも賛成した。(略)民主党の「給油活動」反対論は、原理主義の色合いを帯びつつある。だが、そうした「反対」論は、安保理決議が採択された後では、国際社会の納得を得られないものになるであろう。
素直に聞けば、どう見てもロシアが正論。往々にして正論は政治的妥協の場では超少数派から出るのは日銀の場合とよく似ている。
チュルキン・ロシア国連大使は「(OEFの活動は)国連の枠外で行われているものだ」と反発の理由を述べ、「決議は国連の特定の加盟国の国内事情を優先させた結果、採択された」と批判した。(朝日)
ロシア大使の言う通りであることは、素直に見れば分かる。誰が見ても茶番の、取ってつけた「謝意」をあたかも黄門様の印籠のように振りかざして民主党をくさすなどはっきり言って、みっともなさ過ぎるし、精神が卑しい。これが政治だと言うのなら、末世の嘆かわしい政治だ。
人は自堕落を「リアルポリティクス」などという客観性に置き換えて己の病気に気付くことを無意識に回避するものだ。問題を正面から見るのを避け、返すべき借金を返さないまま借金地獄に陥る人間によく似ている。破滅が迫るまで自堕落に気付かないのだ。
大体、洋上ガソリンスタンドなど各国が本気で有難がるワケもなかろう。あんな役割、日本の国力からすれば国辱でさえある。唯一の目的は憲法改正への一里塚という涙ぐましい努力の一環以外にない。そして、これだけやってもまだ日暮れて道遠しなのが今の日本だ。
巷では延長が困難になり、給油の空白ができれば世界から信用を失うという声もあるが、ちゃんちゃらおかしい。世界のどこの国もこんなつまらないこと気にしていないって。ロシア大使の言を借りれば、給油活動もまた日本の国内事情の問題以外に世界的には何の意味もないのだから。
エラソーなこと言うのなら、憲法改正して晴れて自衛隊を軍隊にして上げてからにせよ。誇り高き自衛隊員にいつまでガソリンスタンドのサービス店員やらせておくつもりなのか。
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