ブレイブ ワン

brave oneまたしても「復讐の連鎖」の映画化で、そのためか、イラク戦争も台詞に出て来る。見方を変えれば、ビンラーディンだけでなく、イラクも憎い、イランも憎い、シリアも憎い、てな感じのホームエディション風連続殺人が911の最大の被害地ニューヨークで行われたということか。
ラジオ・パーソナリティ、ジョディ・フォスターのニューヨークのビル群を語る朗読詩の中に「世界で一番平和な街だった」という一節があり、違和感を覚えた。
この映画では、ゴロツキはただのゴロツキで文字通り犬以下の扱いにされている。その徹底ぶりは前市長の努力にかかわらず、この街が平和でないことを示している。
どうしようもないゴロツキというのは確かに存在するんだろうけど、その描き方は深みがなく、十把一絡げで「ゴロツキ」という記号扱いだ。「ウェストサイド物語」の連中は消えてしまって、ただのっぺりしたゴロツキしかいなくなったのだろうか。
その反対側の人間はこれでもかというほど深みを持たせようとさせる。けれど、フォスターの演技自体は、legalフォスターとillegalフォスターとの間、勇敢なフォスターと打ちひしがれたフォスターの間にはメリハリも何もなく、同じ1人の人間に見えない。なぜ知的雰囲気を漂わせたフォスターが70年代ハードボイルド風必殺仕置き人になるのか、その間がジャンプし過ぎている。多用されるフラッシュバックと今時珍しいタバコスパスパではぐらかされている感じがする。
怪しむ刑事(テレンス・ハワード)にしても、最後は浪花節でもうちょっと何とかならないのかと思う。
最初にフォスターとフィアンセが襲われるのがStranger's Gate(よそ者門)というのはどういうわけだろう。市民権を得ている者同士の御伽噺で、legal weaponとillegal weaponと言っても、市民権を持つものならillegalもlegal扱い可ということで、かなり反感を感じる。strangerは要するにクズなのだ。平和な街ニューヨークとはそういうことなのだろう。「テロとの戦い」の嫌な側面を見せられた気がする。その面、何か自虐の臭いがする。
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