炭素本位制ノート8〜言葉、貨幣、燃料

池田信夫 blog:独断のまどろみ 現代の物理学は、もう独断のまどろみから覚めているのだが、それを模倣した経済学だけが、まだまどろんでいるわけだ。
物理学を模倣した経済学もまた物理学の一分野にならざるを得ないのは、この宇宙の中のことを論ずる限り宿命のように思える。
すべての現象は認識や言語を媒介にしており、それを抜きにして「物自体」の科学みたいな理論を構築しても、実証データと合わないのは当たり前だ。しかし主観を学問的に扱うのはむずかしい。行動経済学は、半世紀前に失敗した行動主義心理学の轍を踏むおそれもあるし、進化心理学やニューロエコノミックスは、短絡的な生物学主義になりかねない。()
およそ言語学にしろ、言葉の伝達手段は物理学的に還元される以上、物理学のサブカテゴリーからは抜け出せない。それは結局、音であり、光であり、物質的差異(点字など)だ。故に言葉は準光速で伝わるようになり、地球の裏側の出来事に悲憤慷慨したりするように人間はなった。これはどこか光速度不変原理のアインシュタイン特殊相対性理論の効果と似ているようなところがある。
言葉とよく似ていると言われるのが貨幣だ。いずれも人間同士での交換手段だ。そして、「通貨と燃料は本当に良く似ている」(炭素本位制ノート2)というのは、既に書いたが、これらは人間と、人間以外の自然との交換手段であり、自然内間での交換手段でもある。地球温暖化も、実は経済と同じインフレーションである(地球温暖化=生態系インフレーション理論)ことも、そのためだ。
グーテンベルク印刷機⇒言葉の過剰流動性インフレ⇒産業革命⇒資本の増大・通貨の過剰流動性&炭素の過剰流動性インフレ⇒地球温暖化⇒以下マルチループ
言葉と貨幣と燃料とは、人間を含めたこの世界で三位一体と言っても良いくらいの、「力force」だ。ちなみに「情報」は言葉、または物理的な力、暴力は「燃料」起源の力だ。燃料にはもちろん、化石燃料に限らず光も水も、全ての物理的、化学的エネルギーを含む。
それでは、アインシュタインが目指したように統一場理論のようなものはできないものか―これが経済学を超えた経済学の21世紀的課題だろう。経済学も所詮は人間を含めた生態学の亜種だし、やがてそれらは統合されざるを得ないだろう。
(Maybe continued)
(関連エントリー)
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炭素本位制ノート2
炭素本位制ノート3
炭素本位制ノート4〜森林保有は儲かる
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炭素本位制ノート7〜環境経済大国ブラジル
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