リサ・ランドールで妄想する

braneリサ・ランドール:(ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く(4)に替えて)この本はなかなか読み進められない。難しいとか(確かに難しいが)面白くないからではなく、途中で色々なこと考えてどんどん妄想が広がるからだ。今度は、なぜ光だけが一定の宇宙最速の光速で真空を飛び、それ以外の物体は光速を決して超えることができない、という特権的地位を与えられているのか妄想した。
五次元時空光速度不変の原理のアインシュタイン特殊相対性理論の解説の部分にまで読み進めていくと、それまで一応常識として入っていたイロハのイが突然、新鮮に見えてきた。
実は光って飛んでいるのではなく、動いていないんじゃないか?
真空中なら常に同じ秒速30万キロで、この宇宙で不変の限界速度で飛び続けられるというのは、ある意味、動いてないのと同じじゃないか! 確かに光は秒速30万キロとで伝播することになっている。しかし、伝播するからといって必ずしも動いていることにならない。他の慣性系と独立して速度が一定ということは動いていなのじゃないか?
つまり、光そのものがランドールの言うところの三次元と四次元の間に立ちはだかる膜のbraneじゃないのか?
我々はテレビを見ている時も、星空を見ている時も、とにかく光を感じている時、三次元世界の中の発光体から光を受け取って視覚として感じていると思い込んでいるが、実は三次元的にはちっとも動いていないbraneを「見て」いるだけではないのか? 光が発するということは、実は物質が四次元宇宙の境界braneに衝突して三次元的空洞をbrane表面に作り出し、braneの地肌が「見え」ているだけではないのか? 光そのものはこの三次元世界には存在しない「無」ではなかろうかと。
ランドールの説明によると、braneはシャワーカーテンのように水滴が二次元的にしか動けないようにしている膜で、言い換えれば水滴は常にシャワーカーテンに張り付いている存在だ。水滴が我々の宇宙の三次元物質とすると、この宇宙自体がbraneに張り付いた存在で、この宇宙のどこに行っても、braneが「三次元」的に張り付いていることになる。
というか、秒速30万キロcという限界速度自体がbraneそのものではないかと。
つまり、限界速度c=brane
とすれば、宇宙空間でどんな慣性系で発光体が動こうが定数cは変わらないというか、多分そんな気がする。
ならば、光という「存在」が動いているわけではなく、ただただ速度cで「動く」動かない無の膜braneが「ある」だけとか。そこでは三次元的に様々な慣性系があっても、四次元的には一つというか、1枚の慣性系に統一されているということなのか。
とすると、この宇宙は「鏡の国のアリス」の鏡そのものだと。
ブレーンワールドでは、重力だけがbraneを抜け出して流出、流入できるらしい。そして重力波も光速で伝わる。その重力波にかかると、ブラックホールでは光すら逃げられないから、逆に考えると、ブラックホールはbraneにうがたれた穴ということになる。braneの穴だから三次元的には球体か。
ブラックホールに対応するものとして、ホワイトホールの存在が理論的に想定されているが、それは必要ないのかもしれない。宇宙に散在する光源全てホワイトホールじゃまずいのだろうか。結構バランスが取れている気がする。つまり、重力と光ってポジとネガの関係でもあるんだろうか? 光は実は地柄ののbraneで、重力が図柄とか。物質は普通光を通さないから「無」=「光」ではないとか。
以上は、初夢代わりの妄想だが、それにしても、難し過ぎて面白い。一体、結論はどうなってんだろう?
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングブログランキング・にほんブログ村へ