平凡パンチの三島由紀夫

平凡パンチ平凡パンチの三島由紀夫 椎根和著。これほど1ページ1ページ、1行1行、いちいち面白い三島由紀夫の評伝読んだことない。筆者は、1960年代後半、「平凡パンチ」の三島由紀夫担当者で、三島に誘われて剣道の稽古にも通い、文字通り密着取材し続けた人。文芸誌の三島担当の評伝などより100倍面白い。とにかく遠慮なしで書かれている。
三島は「平凡パンチ」に悪口だろうが、おちょくりだろうが何でも書かせたそうだ。筆者にはハンバーグの一番面白い食べ方まで伝授し、心を許した。
その中で、唯一三島が筆者に「絶対書くな」と真剣な表情で言ったのは、剣道の忘年会で催されたボウリング大会の三島のスコアだったという。その表情ときたら、市谷のバルコニーでの演説以上に真剣だったという。よって本書でもこのスコアは明かされていない。ただ、「ガーターが多かった」と思わせぶりな表現にとどめているからよほど屈辱的なスコアだったことが伺える。
三島を「デモ通」にさせたのも筆者らしい。三島は平凡パンチの記者章をつけて祭りを楽しみながら司令官のように戦況を分析していたという。警察無線の傍受装置も密かに入手していた。三島も筆者をかなり利用した形跡がある。これがビジネスというものだろう。
有名な「天皇とひとこと言ってくれれば連帯できる」という東大全共闘での発言も、その時が初めてではなく、剣道の稽古を終えた2人の風呂場での会話でも同じこと言っていたという。
密着取材のネタ以外は筆者の三島論で、ウォーホールサン・セバスチャン役を偶然させられたモハメド・アリ、戦前のドイツ映画監督エルンスト・ルビッチまで恐ろしくスコープが広大だ。筆者はチェ・ゲバラの本物のゲリラ戦士として死んでほしかったと希望を述べているが、ここまで来ると、筆者自身が三島を評した「ないものねだり」だろう。
なぜこんなに面白いのだろうか。恐らく筆者の中ではまだ三島由紀夫の炎が原子炉の火のように生きていて、その放射能から一生免れない運命を持っているからだろう。
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