恐怖の相対性理論

アルファルファモザイク:落下して死ぬ寸前の人にスローモーション現象は本当に起きているのか 高いところから墜落している最中の人のように、はっきりと意識がある状態で今まさに生を終えようとしている人は、その一瞬を何時間にも感じるという話がある。米国の作家アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク鉄橋での出来事」という短編小説では、首に縄をかけられた主人公が鉄橋から川に投げ落とされ、ほぼ一瞬にして絶命する。しかし、主人公にとって、その一瞬は一昼夜分に匹敵する。
元ネタは、
Does Time Really Slow Down during a Frightening Event?
その訳・解説は
なんでも評点:落ちて死ぬ寸前の人が見るスローモーション、年齢と共に加速していく歳月の経過 ― “記憶の密度”という説明
実験は、遊園地の絶叫系自由落下アトラクション(45メートル)で、
被験者たちは、“知覚クロノメータ”という腕時計型の装置を手首に装着し、その画面を読み取りながら落下したのである。
知覚クロノメータの画面には、次々と異なる数字が点滅する。点滅の速度はだんだんと速くなっていく。やがては認識可能な速度を超えてしまう。
だが、もし落下中の被験者の意識の中で時間の経過が遅くなっているのであれば、通常の認識可能限度を超える速度で番号が点滅していても、番号を読み取ることができるはずだ、とイーグルマン准教授らは考えた。
さすがに落下中の被験者に認識できた番号を声で読み上げさせるのには無理があったので、落下終了後に各自が画面上に見た一続きの番号を答えさせることにした(正確に思い出せない被験者には、あてずっぽうでもよいから答えさせた)。だが、結局、45メートル以上の高さからの自由落下という恐怖体験中においても、彼らが認識できる点滅速度の上限は通常時と変わりないものであることが判明した。
よって、自由落下中の被験者の意識の中で時間の経過が遅くなるという現象は生じていない、と結論付けるに至ったのである。
だが、矛盾している点がある。被験者たちは落下中には時間の経過を遅く感じていないはずなのに、落下に要した時間を平均して36パーセントも長く報告している。なぜ、このような矛盾が生じるのか?
この問いに対するイーグルマン准教授の回答は、“記憶の密度”に違いがあるから、後で思い出したときに実際より時間が長かったように感じてしまう、というものである。

という。これ、明らかに無理筋の実験だと思う。
まず、被験者は落下中、恐怖の中にあり、実際には暢気に知覚クロノメータの画像に集中できないはずだ。また恐怖心自体も、知覚クロノメータを見るというおよそ恐怖回避とは無関係の「仕事」のためにかなり殺がれてしまうはずだ。
また、当然のことながら知覚クロノメータも被験者と同じ速度で自由落下している。つまり、知覚クロノメータと被験者は同じ慣性系に所属している。言い換えれば、心理的に知覚クロノメータは被験者にとって、恐怖の域外に存在して、恐怖の影響を受けるとは思えない。恐怖のさなかにあっても、恐怖と無関係のもの見ても、そりゃあ変わらないだろう。
どうせやるなら、落下地点のマットの上に知覚クロノメータを置き、被験者が落下しながら、恐怖の対象そのもののマット上にある知覚クロノメータを見ることにすれば、違った結果が得られたかもしれない。比較対照は地上で行うのではなく、「フリーフォールシミュレータ」のようなものを造り、現実とほぼ同じ感覚で「落ちて」もらうのだ。シミュレータなら最初から死の恐怖は少なくとも自由落下アトラクションで実際に落下するよりもはるかに少ないだろう。
ここで、「死」を「光速」に置き換えてみると、アインシュタイン特殊相対性理論に似通ってくる。
「光の速度に近い、加速していないロケットから、光の速度が c に見えるようにするためには、どうすればよいか。」
アインシュタインの答えは、「ロケットの時間が地上と同じように進むとすると、ロケットからは光の速度がのろく見えてしまい、不自然である。ロケットの中の時間の進み方が遅くなるとすれば、ロケットの中から見ても光速度(距離÷時間)は変わらないだろう。」 というものだった。

限りなく「死」に接近するという状態の時間の経過を探るこの実験に対する、アインシュタイン答えは、
「被験者の時間が地上と同じように進むとすると、被験者からは知覚クロノメータの画像の変化速度がのろく見えてしまい、不自然である。被験者の時間の進み方が遅くなるとすれば、被験者が見ても知覚クロノメータの画像の変化速度(知覚クロノメータの変化量÷時間)は変わらないだろう。」
というものではないだろうか。
今回の実験で、画像判別テストに差がなかったことは、恐怖で時間感覚がスローダウンすることを否定するものではない。イーグルマン准教授らは、画像判別とは別に被験者の時間感覚が実際の時間より36%長くなったことについて“記憶の密度”で説明しているけれど、“記憶の密度”という概念自体が曖昧だ。子供が感じる時間感覚が大人が感じる時間感覚より長いことと結び付けているが、確かに何事も初体験が多い子供にとって体験に占める“恐怖の密度”も大人のそれより、大きいとはいえるだろう。
結局、実験で行われたのは“恐怖の特殊相対性理論”の実証実験みたいなもので、子供と大人の時間感覚の相違は“恐怖の一般相対性理論”につながっているような気がする。もう少しよりスマートな実験を期待したい。
ちなみに、個人的体験で、子供の頃、川で遊泳中におぼれかけたことがある。流れの急な場所に入ってしまい、深みに流されたが、余り流れが急なので、パニックになり必死にもがいても岸にたどり着けない。周りに人がたくさん泳いでいるのだが、急流に気づかない。その人たちの動きがやけにスローだったのを覚えている。こちらは必死にばたついているのになんてことだ。もう俺はあの世との境界にいるんだろうかとか、「後から思えば」でなく現在進行形で感じていたのを記憶している。幸い、急流から逃れられ、今ここで暢気にブログを書いている。
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