胡同の理髪師

huton公式サイト。原タイトル「剃頭匠」、英語タイトル「The Old Barber」。ハスチョロー監督、チン・クイ。現存するチン・クイ氏がそのまんま主演。その他の俳優もほとんどは素人という。以前観たイラン映画でも素人ばかり使った映画があったが、地がそのまんま活かせるので監督のセンス次第で名演技になる。実際、うまい。
2005年晩秋の北京五輪まで後1000日を切った頃が舞台。80年もの間、理髪師として時代時代の名士にも重宝がられていた93歳の北京の生き証人のような人だが、中華民国時代であろうが、日中戦争時代であろうが、中華人民共和国であろうが、チンさんにとってはさして関係なさげで、証人というより、存在自体が歴史を語るような存在。
仕事にしても遊びにしても規則正しい生活を続けること、余計なことはあまり考えない。身だしなみは死ぬときまできちんとするように心がけている。ゼンマイ仕掛けの柱時計が1日5分遅れると、修理に持って行くが、骨董品もので分解すると却って壊れる危険があるという理由で修繕を断られ、電子時計を勧められるが、断って毎日時計の針を5分進めるのを日課にする。よくリユース、リデュース、リサイクルの3Rと言われるが、チンさんの場合、それ以前に「ロング・ユース」である。
この柱時計とチンさんが同じ運命であることが匂わされ、実際、時計はある日、止まってしまい、チンさんも自転車をこいでいる途中、眩暈を感じ、寝込む。そのまんま二度と起き上がらないのか・・・。
と思いきや、ただ柱時計が止まって午前6時に時報が鳴らなかったから寝過ごしただけだった。多分、柱時計ももう一度巻きなおせば動き出すのだろう。
映画は経済成長著しい北京と昔ながらの胡同(フートン)の古い街並との対比が強調される。「長江哀歌」と同様、札束が出て来て拝金主義批判になっているが、より分かり易く構成がシンプル。
思い起こせば、私自身、胡同界隈をうろちょろ散策したことがある。紫禁城の裏手あたりだったか、映画でもあるように立地はよく地価高騰でバブル時代の東京のように区画整理が進行中。「拆」という「解体」を意味する字を若い官吏が「折」と間違えてチンさんにたしなめられるシーンなど、日本も中国もさして変わらないエピソードではある。
そこらあたりで乗ったタクシーはわざと遠回りしてメーターを稼ごうとしているのが見え見えだったので怒って一銭も払わず降りた覚えがある。チンさんは新興高層アパートまで出前して100元渡されても、不満と思われて200元提示されても受け取らず車から降りるシーンがあって思わずあの頃を思い出した。受け取らないのと払わないの違いはあれど、行為としては同じだ。チンさんの頭の中では断固調髪料は5元なのだ。私の頭の中でもタクシーは可能な限り近道してはじめてまともな料金なのだ。メーター偽装は許さない。
映画では散髪の後、親しい人にしてあげるマッサージ「放睡」というのが紹介される。「放睡」というのは中国でも死語らしく、日本軍が「按摩」という言葉に変えたそうだ。そう言えば、日本の理髪店でも、散髪後肩や首をマッサージするサービスがあるが「放睡」がオリジナルらしい。
今話題の北京の大気汚染はさすがに取り上げられていない。老人にはさぞきついとは思うのだが、恐らく大気汚染を取り上げると胡同の清浄な雰囲気が壊れるからだろうか。
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