ひぐらしのなく頃に

higurashi公式サイト。正式タイトル「ひぐらしく頃に」。及川中監督、竜騎士07原作、 前田公輝、飛鳥凛、松山愛里、あいか、小野恵令奈杉本哲太川原亜矢子谷口賢志田中幸太朗三輪ひとみ。都会から雛見沢村に引っ越してきた前原圭一(前田公輝)が最初に分校に登校する時の校舎二階窓(写真)。4、5人の手、中には口が窓ガラスに接し、まるで無数のヒグラシが木の幹に張り付いて鳴(泣)いている様にも見える。
カーテン越しに圭一を見下ろしているのが分かり、最初にゾッとする予兆的シーンだ。普通に考えれば、顔を合わせるのをはにかんでカーテンを閉じたまま新入生を観察する(外が明るいので内側からは見えても外側からは見られない)という子供らしい行為に見えるけれど、それにしては、その後の黒板消しの扉はさみという無邪気な古典的悪戯と平仄が合わない気がする。カーテン開けて手を振って相手を油断させた方が、黒板消し爆撃の命中率は高い筈だし、サプライズ効果も大きい。というか、本当に見下ろしているのは子供たちなのか、と疑うぐらい不気味な印象がある。
実際に黒板消し被害に遭うのは知恵留美子先生(三輪ひとみ)の方だが、先生が圭一を案内して階段を昇る時の表情がなぜか妙に妖しい。黒板消し被害に遭って教室に入った途端、その顔から妖艶さが一瞬に消え、白墨を払おうともせず、「誰がやったの」と質問するだけ。まるで、教室と教室外の間には異次元の境界があるかのように。本当のターゲットは圭一であるべきなのだが、挨拶代わりの黒板消し攻撃の祟りが失敗に終わったバツの悪さを取り繕ったような風情だ。
その後、存在感のある知恵先生が一切登場しないのは、なぜだろう。分校自体が本当にあるのかとさえ思えてくる。実はとっくに廃校になってましたなんてオチあるんだろうか。
飛鳥凛、松山愛里のメインの少女役がそろいもそろって田舎の女の子に見えず、都会人ぽい洗練さがあるのが不自然。本当にこの村の子供なのだろうか。圭一と同年齢の男子生徒がいないというのも不自然。
不自然と言えば、毎年同じ「綿(腸)流し」の日に1人が死んでいるのだから、蘇民祭騒動以上にマスコミで大騒ぎになり、当日、メディアクルーが村を占領するのは、たとえ映画設定昭和58年当時でも必定だ。
当然警察も厳重警戒する筈で入ってはいけない社は立ち入り禁止でラインが張られそう。というか、綿流し自体が中止されるだろう。
そもそも、ダム建設は凍結されているのだから、「村ぐるみの犯行」というのは最初の前提として現実的じゃない。それともここまで現実的に考えるのは禁じ手なのだろうか。
唯一考えられることは警察はそんな事実を認識しておらず、実はそんな事件起きていなかったというオチなのだが、見た限り、大石蔵人刑事(杉本哲太)は少なくとも「同じ日」とは言っていなかったように思う(聞き漏らしかもしれない)。
圭一が大石刑事とレストランで話している時、大石刑事がやたらウェイトレスを気にしている風。メニュー頼む前に聞きたいことを聞く。まるでスパイと感づいているかのようだ。
そのレストランから帰宅した時、両親は急用で村を離れている。その両親は、なぜか圭一が少女2人を殺した容疑(あくまで容疑)をかけられて大騒ぎなのに帰って来た様子もない。実は少女殺しは圭一だけの主観としてしか表現されておらず、警察は殺されたのが誰かと言及していなかったように思える。じゃあ、殺されたのは両親?
それから圭一が残したという2通の封筒。一つには注射器のつもりが露店の遊びの罰に使われたマジックペン、もう1通はメモなのだが、圭一が残したものなのかどうか実は不明だ。封筒や手紙、ペンに指紋が残されていたわけでもないし、。
診療所医師の入江京介(田中幸太朗⇒今回はヨン様の出来損ない風でそこはかとなくキモい)もなぜか看護師の鷹野三四(川原亜矢子)が用事があることを知っていて早退させるし、鷹野も死んだ筈なのに生きているからこの2人が重要参考人であることは間違いない。
また毎年1人死亡1人行方不明なのに、今回だけは額面通り受け取ると既に3人死んでおり、「恒例」から既に逸脱している。
後は続編待つしかないのだけれど、本当に平仄合うのかどうか。既に出ているゲームとは一応独立していると考えていいのかどうか。
ロケには世界文化遺産になった合掌造りのある白川郷が使われているが、そこがダム建設計画で沈みかけたというのは有り得ない設定だし、最後までロケ地としての必然性(観光キャンペーンは置いといて)がない。
ちなみに、映画に登場する木偶は、よく宇宙服を着た宇宙人だと言われる遮光器土偶のパクリだろうか。しかし、この木偶、よく見るとヒグラシにも似ていて、社殿の奥にもぼんやりそれらしきものが見える。その姿は、外をのぞいているように見え、冒頭の、新入生をカーテン越しに見下ろす子供たちと被って見えて、実はこの社と分校は同じなのかと妄想さえしてしまう。
ストーリーはさておいて自然の映像は文句なく美しい。特に夕映えのシーンの美しさは素晴らしく、その中を死んだ、あるいは死ぬ目前の筈の3人が仲良く楽しげに歩んで行くのだが・・・。「ひぐらし」は「日暮れ」の意味もある。ホラーの起源は自然への畏怖なのだから、自然を美しく映せば映すほど不気味さは増す。
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