国道20号線

route20公式サイト富田克也監督、伊藤仁、りみ、鷹野毅、村田進二、西村正秀。ドンキホーテアコム、プロミス、アイフルすき家の牛丼、それからパチンコ・パチスロホール、消費者金融のATM・・・日常的な風景のはずなのに、こうも見せつけられる国道20号線沿いの風景はシュールだ。日常とシュールの境目がけだるい陽光で漂白されてぼやけてしまい、疲れ果てている風情だ。
映像もそれに合わせてか、くたびれて画質がよくない。台詞もだれて聞き取れないこともしばしば。「最近。なんかおかしいよ・・・全部が」とか「もう、なんか、いや」とか「もういやだこんな生活」とかがケバい化粧姿の若い女性から発せられると、余計にけだるい。化粧のケバさは日常のけだるさ光線から肌を守るための生活の知恵とさえ思えてくる。
もう無気力なんて生易しいものじゃなく、マイナスの気力が充満している。死にたくなる気分とはこういうものかと思える。
シンナー遊び、あのアンパンスタイルは1960年代からだが、いまだ衰えてないのだろうか。古典的な遊びを徹底させることで、むしろマイナス気力を表現しているかのようだ。もう何でもいいさ、手に入りやすいものでいいや、もっと刺激のあるものを望むのも面倒だし、そんな「向上心」すら残っていない、とか。
マイナス気力は同棲するジュンコ(りみ)の肉体にも現れていて、締まりがない。草叢に放置された半ケツ姿がけだるい悲哀に満ちている。
ヒサシ(伊藤仁)が幻視する闇の世界。暗闇で使い古しのCDに色付き光線を部分的に当てた感じに見えた。CDを持っている指らしき影も見える。あっちの世界もだれているようで、バイク走らせてもフラフラで、もう逃げる気力、逃げる避難場所すらないような絶望感が映像から伝わってくる。
まぼろしの郊外」(宮台真司著)的世界。宮台氏はこの作品を「昨年ナンバー1の日本映画」と絶賛している。確かにいい映画とは思うけれど、観る方も辛くなってくる。もし、これが外国映画ならある程度距離置いて観られる分、そんなに辛くならないのだろうけど、今ここにある現実なのだから。
現実の国道20号線は東京都から山梨県経由で長野県に抜けている。もちろん、国道沿いのガラクタのような建物、広告看板はここだけのもなじゃなくて、メディアにも流通しているガラクタのような紋切り型の言葉やお約束の流儀と対応しているのだろう。、
富田監督の出身地も山梨県。裏金融の親分(村田進二)は中上健次を髣髴とさせる風貌。紀州の路地と甲州の国道が結ばれているような。富田監督は中上を尊敬しているようだし、オマージュなのか。
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