靖国YASUKUNI

yasukuni公式サイト李纓監督。連休が終わってまもなく、上映期間延長でそれまでの混雑が緩和されてCINEAMUSEへ。依然として館前には警官1人、劇場内のスクリーン横にはスタッフが1人警戒にあたっていたが、それ以外、なんてことない。
どこかの討論会で「靖国派」と「反靖国派」の映像時間に占める比率まで問題にして、反日映画か非反日映画か判断するなんて意見もあったようだが、両者の比率なんか問題にしても埒がない。観る人によっては「靖国派」の比率が大きい方がむしろ反日的と判断するだろう。見た目、比率で言えば「靖国派」に割いた時間の方が長い。
いずれにしても、「戦後60周年」という垂れ幕などから分かるように靖国の現場を映したフィルムの大半2005年の8月15日とその数日前なのが分かる。10年かけたという前宣伝にもかかわらず、それはフィルム撮影自体を10年かけたという意味ではないようで、撮影自体はかなり短期間だろう。刀匠の刈谷直治氏の撮影部分だって、そんな長期間密着したとは思えない。
大体、靖国神社の8月15日というのは、特異日であって、「靖国派」と「反靖国派」が集結する同神社の非公式の勝手にやる大祭なのだ。李纓監督は春季の例大祭その他の行事も何も取材していないらしく、これは実質タイトル「靖国8・15」だ。奇矯と思える軍服姿の参拝風景も、様式化されたもので、伝統的な祭りには多々あること。時間の経過がまだ半世紀しかないから違和感があるだけで、100年も続けば生々しさは消えて様式美に昇華するだろう。そこまで続くかどうかは分からないが。
しかも、百人斬り論争と靖国刀を無理矢理関連付けさせようという意図は明らかで、むしろ軽薄さばかりが目立つだけだ。
こうした監督の勘違い、思い込みによるのか、よらないのか分からないが、結果的に笑いを誘うユーモラスな場面が多い。
なぜかアメリカ人の不動産屋さんが「小泉総理を支援します」とプラカードを掲げ、それを「だまされるな」「ヤンキー、ゴーホーム」と境内から追い出す。こんな馬鹿みたいなシーンがさも意味ありげに取り上げられる。インタビューされた刈谷氏が、「小泉総理の靖国参拝をどう思いますか」と問われて、「あんた、どう思います」と逆質問してそのまんま沈黙ピリオドとか。一番笑いを誘うのは、刈谷氏が「休みの日には何聞いておられます」と問われて「靖国の歌ねえ・・」と聞き間違えたのか、おもむろに古いカセットデッキをつけるが「もの言わんな」とあちこちスイッチを押すシーン。やがて聞こえてきたのは戦後の復興ぶりを回顧するような放送の録音らしきもの。これは、ある意味、英霊のおかげで今の繁栄があるというメッセージになってしまっている。
淡々とした態度で応じる90歳の刈谷氏自身が結果的に古刀のような趣のある人物として描かれ、インタビュアーの監督が対比的に軽く見えてしまうという思わぬ成果もあったようだ。
上空から撮影される靖国夜景は、意図的かどうか知らないが結果的に「英霊目線」のように見える。黒々とした境内から東京の繁栄のシンボルのような夜景に移るラスト。それははからずも「英霊が喜んでいる、ならびに英霊への感謝」とも受け取れ、結果的に反日かそうでないかなどの議論を無化してしまう。
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