リカードが生きていたら食糧自給率をどう思うだろうか

ダイヤモンド・オンライン:シリーズ値上げ列島を読むと、つい2年前ベストセラーになった「フラット化する世界」などという時流便乗本が、早くも流行遅れになったのが見えてきた。世界のフラット化は崩壊し始めている。
フラット化した世界などそんなにもたないことは常識があれば分かることで、球体である地球を無理矢理ペチャンコにしてフラット化すれば力学的ストレスがかかり、世界経済全体が最終的に大地震のようなクラッシュに見舞われ、崩壊するのは自明とさえ言える。最初から無理筋なのだ。本来、フラット化可能なのは、非物質的で電子化されて光速で伝わる情報、並びに電子化したマネーだけだ。なのに、流行とは恐ろしいもので物質的なものまで含めてフラット化したかのような幻想に囚われてしまう。
原油価格や食糧価格の高騰は、ある意味、物質、非物質の間の歪みの反映だと言える。特に食糧はグローバルと相反するローカル性がデフォルトなのでその歪みは大きくなる。
食糧危機に対応するために必要なのは、不可能な「自給自足」をめざすことではなく、食糧価格を安定させるためのリスク分散である。その基本は、供給源を特定の国に依存しないことだ。農産物の輸入を自由化して、なるべく多くの国から食糧を輸入し、一国で輸出制限や値上げが行なわれても他から輸入できるようにする必要がある。(池田信夫blog:「食糧自給率」の向上は食糧危機を悪化させる)
これ読んでどっか論理的に間違っていると思う人が大半だろう。一国で輸出制限や値上げが行なわれれば、世界中で値上がりして無意味だからだ。つまり価格だけがフラット化しているのだ。
中東の原油が上がっても、アフリカの原油は安いなどということはグローバル化した経済では有り得ない。オーストラリアの小麦が上がってもウクライナの小麦は安いなど有り得ない。国際市場で取引されている商品に素朴な比較優位説に基づいたリスク分散など有り得ない。供給源を分散するのは戦争や大災害などの有事で供給そのものが特定の場所で途絶えた時にだけ有効で、今回のような地政学とは無関係な価格有事では全く無効だ。コメント欄にある海外での長期契約など言葉と裏腹に短期的にしか有効に働かない。しかも、リスク回避するのはスーパーやビール会社や商社で、日本の消費者に届くときは当然市場価格が反映される。
フラット化とは比較優位の究極形態のようなものだが、比較優位を唱えたデヴィッド・リカードが生きた18世紀後半から19世紀前半の産業革命黎明期は、まだ帆船が主流で、ようやく蒸気船が登場し始めた時代だ。世界全体がまだ環境に優しいエネルギーの時代で、エネルギーの爆発的な消費は事実上想定されていなかった。ブラジルから日本へのコーヒーの輸入は比較優位でも、ブラジルから大豆やトウモロコシの輸入などリカードは夢想したろうか。もし、そんなことしたら、「日本で生産できる作物をわざわざ地球の裏側から持ってくるなど狂気の沙汰だ」と言ったに違いない。リカードだってまさかエネルギーがこんなに安く供給されて距離の比較優位が無効になるとは思わなかったろう。実際、それは正しく、今、物質レベルの経済では逆フラット化が起きようとしている。
日本にできることは自給率を上げる努力のほかにもう一つある。完全自給率100%保証の通貨、円の価値を高めることだ。今は日銀の超低金利政策で通貨円は投売りされていて、それが原油価格や食糧価格に反映されている。いわば安い円を輸出して世界的インフレに拍車をかけるという世にも愚かしいことをしている。
しかし、就任したばかりの白川方明日銀総裁もおよそお公家さん言葉の官僚の如くで、動かざること山の如しだ。結局、何もしない、できないのだろう。
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