コレラの時代の愛

CHOLERA公式サイト。ガルシア=マルケス原作、マイク・ニューウェル監督、ハビエル・バルデム、ジョヴァンナ・メッツォジョルノ、ベンジャミン・ブラット、カタリーナ・サンディノ・モレノヘクター・エリゾンド。食わせ者フロレンティーノ(ハビエル・バルデム)に騙されると酷い目に遭う。彼は同じバルデム演じる「ノーカントリー」のシガーと一見正反対のようで実は双子の兄弟の如きサイコパスのようだから。
フロレンティーノが「51年9ヶ月と4日」、結婚するチャンスを待ったというフェルミーナ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)は彼を幻影のように実体のない人物と評していた。それは、近代合理性の権化のような結婚相手の医師ウルビーノ(ベンジャミン・ブラット)とは対極的だというだけではなさそうだ。今で言えばサイコなストーカーぽい。
母親に甘やかされ、自分では何もできないような妄想壁のありそうなフロレンティーノ。映画では大会社を経営する親戚を頼って、美しいフェルミーナにふさわしい社会的地位を得ようとし、得てしまうが、ここら辺、どうも嘘っぽい。永遠の文学青年のようなフロレンティーノを会社のトップに迎えるとは思えないし、迎えるなら最初からそうしていたろう。現実にそれをにおわすようなシーンもある。少なくとも100年前は、文学青年と実業家は水と油、互いに不倶戴天の敵なのだ。
しかも、そんな社会的地位得たのならウルビーノの死を待たずとも、あらゆる算段で奪おうとするはずだし、そうしかねない性格の持ち主のように思われる。彼は不倫相手を夫に殺されるように仕向けるし、ウルビーノが死んだ時に寝ていたアメリカという少女も原作では自殺に追いやっている。ウルビーノだって実は・・・・。
会社のトップになってフェルミーナのためにわざわざ「新貞節号」なる豪華なクルーザーを造るというのも子供じみていて純愛にふさわしいとは思えない悪趣味だ。
そもそもフェルミーナのために貞節を守り続けると誓ったはずなのに一種のハプニングで破ってしまったことも嘘っぽい。まるで男が強姦にあったかのようないかにも言い訳ぽい第一号からしていかがわしいのだ。
タイトルの「コレラの時代の愛」は、恋煩いそのものが文字通り病気でコレラのような重篤の病だということ。ならば、フロレンティーノはコレラ菌そのものではないのか。恋敵ウルビーノコレラ撲滅に尽力した人物であることは偶然ではない。
全て嘘、妄想なのじゃないかという疑念がどうしても湧いて来る。彼は「51年9ヶ月と4日」と正確に待ち時間を言っているように、日記だけはまめに付けていたらしい。その日記の中の妄想が多分に入り混じっているようだ。
しかも、終盤で訳の分からなくなる台詞にぶつかる。フェルミーナの娘が「フロレンティーノは一度も女性と交わったことがなく、男色の噂がある」と腐し、母親を激怒させるシーン。自称600人斬りが本当なら、逆の噂が立ってしかるべきなのに。火の無い所に煙は立たぬだ。
どっちが本当なのか。フェルミーナが若い時に看破した幻影のようなフロレンティーノが実体で、老人力が出始めたフェルミーナに娘が見かねて注意するというのが「現実的」な見方なのかもしれない。しかし、そうなるとフロレンティーノは実は究極の純愛男になってしまうから映画を観る者は宙吊りにさせられてしまう。それこそ最後になって煙に巻かれるのだ。いずれにしても、キャッチコピーのような単純な純愛物語とは程遠い物語なのだということは心すべきだ。マルケス自身、インタビューで「罠にはまるな」と言っているのだから。
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