雇用流動性の罠
池田信夫blog:貨幣数量説の神話 通貨さえジャブジャブに供給すればインフレになると思っている経済学者もいるが、いくら供給を増やしても需要を増やすことはできない。
それでは、貨幣を労働に置き換えて同じことは言えないのか。
と言っても、置き換えは結構難しい。ジャブジャブ増やす「貨幣」にあたるものは、逆にスカスカになる1人当たりの賃金ということになるだろうか。
流動性の罠@wiki 景気後退に際して、金融緩和を行うと利子率が低下することで民間投資や消費が増加する。しかし、投資の利子率弾力性が低下すると金融緩和の効果が低下する。そのときに利子率を下げ続け、一定水準以下になると、流動性の罠が発生する。
利子率は0以下にならないため、この時点ではすでに通常の金融緩和は限界に達している。
これを荒っぽいのを承知でパラフレーズして、
景気後退に際して、賃下げを行うと賃金コストが低下することで労働需要(人的投資や雇用)が増加する。しかし、賃下げ弾力性が低下すると労働需要増大の効果が低下する。そのときに賃金を下げ続け、一定水準以下になると、雇用流動性の罠が発生する。
賃金0以下にならないため、この時点ではすでに通常の労働需要は限界に達している。
なんてこと起きないのだろうか。例えば、
池田信夫 blog:[高校生の経済学] 需要と供給 有効求人倍率が0.76という現状は明らかに労働需要が不足しているので、賃金を下げれば需要は増える。
添付されたグラフを見れば、縦軸を賃金(w)、横軸をn(雇用者数)として労働供給(S)と労働需要(D)が表されている。このグラフを見ると、確かに、
賃金を下げれば(労働)需要は増える。
ことになる。
では、実際に賃金を下げてみよう。仮の話として、中央銀行の日銀の金利引き下げに倣い、最低賃金を時給800円から700円、600円、500円と下げ続ければ、労働需要(資金需要)が発生するのかという問題にぶちあたる。
金利同様、ゼロ以下にはできないので、思い切って時給1円(別に100円でもかまわないと思うけれど、仮定なので極端な方が分かりやすいだろう)に引き下げた。それなら、企業は万歳三唱して雇用を増やすだろう。労働需要は劇的に増えることには間違いなかろう。かくして失業率ゼロの幸福な社会が実現する。
しかし、はてな? 何かおかしい。同じグラフには労働供給Sも表示されていて、これは賃金が下がれば下がるほど減ることになっている。平たく言えば、「時給1円で食えるワケないだろう。そんな仕事就いても無意味じゃん」と考える人が多くなり、労働供給が減るいうことだ。だから、
賃金wが図のように均衡水準w*より高いと、失業n*−nが発生する。ここで賃金を下げれば労働需要が増え、w*に達したら失業はなくなる。
とは必ずしも言えないことが常識的に了解される。それはあくまで「平時」の場合だろう。では、
価格は需要と供給で決まる。これはバナナでも労働サービスでも同じだ。
は正しいのだろうか。バナナの場合、価格が暴落すれば、バナナ農園主は転作するかしてバナナの作付面積を減らすだろうし、もっと緊急の場合は折角収穫したバナナを廃棄処分して供給を減らすだろう。言わばバナナ切りが可能だ。つまり供給する側にも価格形成力があるので、均衡水準を維持しやすいだろう。
では、労働供給側はそんな価格形成力あるのかどうか。バナナ切りは供給側が行うのに対し、派遣切りは需要側、雇用する側、経営者側が行う。人間そのものが「商品」になると、供給側があたかも需要側に回って、高騰したバナナを目の前にして手が出ない需要者である消費者の如しだ。労働需要という言葉自体、雇用する側から見た用語で、被雇用者側から見た「労働需要」は、求人という供給なのだ。
つまり、「人間」という商品の場合、需要の側面と供給の側面が相互的に並存する。バナナの場合、供給側と需要側の中間に存在するため、こういうことは起きない。早い話がバナナにとって自分がいくらで取引されようが知ったことではない。バナナの叩き売りにされようが、バナナ切りされようが文句言わないだろう。
しかし、人間は文句を言うバナナである。特に日本人の場合、
こういう特徴は日本でも同じであり、Rubinもいうように、一部は遺伝的なものだと思われる。それはハイエク的にいうと部族感情である。人類は、その進化の大部分を数十人の小集団で過ごしてきたので、目に見える仲間の利益を守り、目に見えない多数の他人の利益を無視するバイアスがあるのだ。(池田信夫blog:民主党の合理的バイアス)(何か池田さんのエントリーの引用ばかりで気が引けるが他に適当な引用元が見当たらないので仕方ない)
のように、そういう文化的遺伝子が強いため、雇用への要求水準が、元々これまで生活水準が高かったこともあって、相対的に高いだろう。雇用の流動化はポジティブな側面もあるが、日本人の場合、それに伴う雇用の不安定そのものに耐性がまだできていない。また、外国に出稼ぎするにも日本語という特殊な事情で英語のハンディキャップがあるために限度がある。つまり、誤解を恐れずに言えば、世界全体から見れば日本の労働者というのは運命的にハンディキャップを抱えた「障害者」に近い存在だ。
統計的には先進各国に比べ日本の失業率はまだ低いのだけれど、こうした特殊事情から同じ仕事でも外国からの出稼ぎ労働者なら耐えられても日本人は耐性が弱いので、相対的に耐えられる限度が低く、ストレスが高まり、挙句は暴発するリスクも高いと思われる。
そうなると、万引き、窃盗、強盗、さらには自殺、他殺、テロのようなリスクも高まる。そして、こうした治安の悪い社会そのものにも日本人は耐性がないので、一気に社会不安が拡大する恐れがある。流動性の罠では金利が限界点を超えて下がると、投機が無限に増大するとあるが、雇用流動性の罠では、社会不安が無限に増大する恐れがある。
これを防ぐには、残る手は、ある意味日本のガラパゴス化だろう。といっても過激ではない緩やかな労働鎖国だ。外国人の代わりに日本人を雇えば法人税を引き下げるとかの日本人雇用刺激策だ。街に出れば、コンビニでもレストランでも一声聞けば非日本人東洋人だと分かる従業員が本当に増えた。
その代わりに労働分配率を引き上げ、ノンワーキング・リッチを切り、ワークシェアリングを可能な限り実現しつつ賃上げを実現することだろう。そうでもしなければ、耐性の弱い日本人はもたない。グローバル化の中での労働分配率引き上げは困難極まるだろうが、まだ余裕のあるうちに時間稼ぎして日本人の耐性を長期的に強めるしかない。出稼ぎして来る主な国である中国、インド、ブラジルにしても母国の方が賃金上昇率ははるかに高いので「耐性格差」は徐々に縮まるだろう。必ずしも外国人排斥策ではなく、耐性の弱い日本人保護策だ。エリートクラスの外国人は今後も来てもらえばいい。
また、GDP世界2位転落の危機などと強迫観念に駆られて無理矢理経済成長=上げ潮政策するために再び過度な円安政策するのだけは勘弁してほしい。もう日本は十分成長したのだから、あっちに成長してもらってOKだ。戦後最長の景気拡大にもかかわらず平均賃金が一向に増えず、国債残高も減らなかった。残ったのは世界金融バブル並びにその後の世界金融危機だ。
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