池田信夫氏の言う「コアの労働者」って何だろう?

規制を撤廃して解雇のリスクがなくなれば、企業はコアの労働者は長期雇用し、それ以外の労働者は高コストの派遣ではなく雇用関係でやとうようになるだろう。それによって、むしろ「すべり台社会」は阻止できると思う。(池田信夫 blog:正社員はなぜ保護されるのか)
年初から池田さんは延々と雇用問題を精力的に書きまくっていて、着いて行くのが大変だ。ついにコアの労働者という私のような素人にはよく分からない言葉まで出てきて読むのに苦労する。
よく分からないので、取り合えず「中核労働者」でぐぐったら、似たような言葉を使っておられる方がいて、
佐藤孝弘、怒涛の読書日誌@東京財団:IT化、グローバル化による競争の激化、知識社会化によって労働者の生産性が二極化したことです。労働の性質が、単純作業的な仕事(定型作業労働者)と創造的なハイレベルな仕事(専門中核労働者)にわかれて来たということです。この流れは先進国では1970年代からすでに静かに進行してきました。それまでは農村から安価な労働力を持ってきて、工業製品を規格大量生産すれば十分に利潤を得られました。ところが、工場労働者の賃金が上昇し、その部分で利潤を得られなりました。そのためには意識して少しでも他社との差別化をしなければ生き残れません。それは製品でも、ビジネスモデルでも、組織づくりにおいても、すべての面で言えるのです。アイデアや知識が価値を生み出す時代です。(このあたりの議論は岩井克人先生の「会社はこれからどうなるのか」をご参照ください)
以上のような資本主義の流れは学者達によって常に指摘されてきました。ダニエル・ベルは「脱工業社会」、トフラーは「第三の波」、ドラッカーは「知識社会」などと呼び、日本でも堺屋太一氏などが「知価社会」などと名付けてこの点を指摘していました。90年代以降のグローバル化、IT化はこの流れを一挙に進めたといえるでしょう。その後もロバート・ライシュは「ニューエコノミー」、岩井先生も「ポスト産業資本主義」としてこの流れを認識することの大切さを強調しておられますし、山田昌弘氏などはこの観点から労働の問題を論じておられます。
この流れは必然的に他者と差別化した商品・サービスやビジネスモデルを創造できる人間とそうでない人間の生産性格差を生みだします。言いかえれば「仕組みをつくる労働者」と「その仕組みに基づいて実施する労働者」の二極化です。90年代後半以降の非正規雇用の増加の背景にはこうした点も影響を与えているはずです。

とある。ま、こんなところで理解してよろしいかな。
また「中核人材」でぐぐると、経済産業省のサイトに「産学連携製造中核人材育成事業」というサイトがあった。
我が国産業の強みであった製造現場の技術は、従来、現場教育においてベテランから若者に教えられてきたが、近年のリストラの進展における現場人材の削減により、現場教育は機能低下をしている。一方で、戦後の経済成長を支えた段階(ママ、団塊だろう)の世代は、2007年以降、順次定年に達していくことから、我が国産業の強みであった製造現場において、ベテランが持っている技術・ノウハウを若手の現場従業員等に伝承することは、現在の製造業における喫緊の課題となっている。
また、産業技術の高度化(高精度・高信頼・ハイスピード化)・短サイクル化が進む現在、現場技術者への最新技術の教育ニーズが高まっているが、1990年代以降、厳しい経済環境の下で、我が国企業の人材投資は減少しており(教育訓練費が、1980年代に比べ、約1000億円も減少)、企業単位では、対応が困難な状況にある。
こうした中で、製造現場に求められる産業技術に関し、これを有する産業界が技術・ノウハウを提供し、技術の教育体系化/教授法等の教育ノウハウを有する大学等と一体となって、若手技術者等に対する現場技術教育を行うという新たな人材育成システムを実現することが重要である。
こうした製造現場の中核人材の育成のための拠点を全国各地に整備するため、地域の産業集積と大学等がコンソーシアムを形成して実施する、製造現場で求められる技術・ノウハウの教育プログラムの開発プロジェクトを提案公募し、採択案件を支援することとする。

抽象的で分かりにくいので、
中核人材産業能率大学総合研究所:「中核人材」とは、マネジメントを担う人材・専門性を発揮する人材を問わず、組織に貢献しうる人材を総称しています。高い専門性と意欲を持ち、成果を創出するプロフェッショナルな人材です。強い組織づくりのためには、階層や職種を問わず、組織を構成する人材を「中核人材」化していくことが重要です。
とある。必ずしも専門性だけでなく、マネジメントなので組織に貢献しうる人材の総称らしい。グラフが描かれているのを見ると、要は「正社員」のスリム化としか考えられない。
こうしてみると、コアの労働者といのは具体的には公務員なら、キャリア組がコアの労働者ノンキャリは「一般」扱いで雇用リスクなしにする。ここで雇用リスクとは、もちろん、従業員が首を切られるリスクではなく、経営側、あるいは中核側が「解雇できないリスク」だ。池田さんが主語を省略する場合、大抵は「経営者」が主語の場合が多い。
これは一流企業でも同じで、エリート社員のみがコアの労働者ということになりそう。昔はやったライト・ミルズの「パワーエリート」に近いかもしれない。
そうすると、キャリア、エリート組以外はリストラで解雇自由なので、賃金が抑えられ、窓際族という元キャリア、エリートも切れることになる。大変「効率的組織」ができることになる。池田さんはコアの労働者は長期雇用し、」とわざわざ書いているので、コア以外とは競争せず、コアのみ長期雇用が初めから保証されると読める。
ということは、格差社会どころか、さらに二極化進み、身分保証の特権的少数エリートが「その他大勢」を支配する社会がめでたく実現することになる。というか、それ以外想像がつかない。これって、「すべり台社会」は阻止できると思う。どころか、最初から「すべり台社会」前提デフォルト社会としか見えない。日本的風土を考慮すると「パワーエリート」どころか19世紀風貴族的特権階級さえ視野に入る。
多分日本で言えば明治時代辺りに先祖がえりということなのだろうか。なぜかそれを暗示するかのように池田さんの次のエントリーのタイトルは、19世紀には労働者はみんな「派遣」だったである。
そう言えば、アメリカで奴隷が解放されたのも19世紀のバラック・オバマが尊敬するリンカーンの時代。それ以前に回帰するとなれば、「失業よりまし」というワーキングプアこそ事実上の奴隷にされる可能性もある。
ああ、アメリカとは逆方向についに日本は19世紀に回帰するのかと憂鬱になる。
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