ネット献金で政治が変わると思えない
今日のテレ朝「サンデープロジェクト:どうする「政治とカネ」今後の対応は?」を見ていたら、アメリカでは政治献金の4分の3が個人献金で、バラック・オバマ米大統領のネット献金による莫大な草の根献金収集が引き合いに出され、なぜ日本は遅れているのかという視点で議論されていた。けれど、個人献金やネット献金が日本でも主流になったからといって政治が根本的に変わると考えるとしたら幻想に終わる公算が大きい。
実際の政治家でも「保坂展人のどこどこ日記」で「なぜ、日本ではネット献金が出来ないのか」「なぜ、日本ではネット献金が出来ないのか(2) 」で詳しく論じられているが、法律的には基本的にネット献金は排除されていないようだ。むしろ、クレジット会社側にあり、
『カード会社が特定の政治家や政党を支援していると受け取られてしまう」「政治家はカード加盟店と見なせるのか。もし落選したら、一市民になるのでは』などと及び腰だ」(朝日新聞08年9月13日)
のだそうな。
しかし、政治資金団体なら「一市民」になろうが関係ないはず。大体「一市民」だったらなぜ悪いのかもよく分からない。アマゾンで一市民同士が古本売買してもカード決済できるはずだ。結局、日本で大きな成功例がないからはずみがつかないだけと思える。匿名だの色々問題あってもだ。
仮にネット献金が日本でも一般化されたとしても、実際に政治が本質的に変わるのかと言えば、多分本質的には変わらないと思われ。
オバマ大統領の例で言えば、ネット献金が成功したのは、まずオバマ氏のカリスマ性、人気が「資本」としてあったからこそだろう。オバマ期待がネット献金を増やし、増えた献金を選挙キャンペーンに再投資されてますますオバマ人気に火が付き、さらに献金額が増える⇒以下ループということになる。メディアの世界では「セレブランド資本主義」と言って、人気、知名度自体が資本としての力を持ち、マネー資本と相乗効果で知名度も資金も集まる、ある意味レバレッジ化してしまう。オバマ氏の成功は必ずしも、今後とも成功するとは限らない。あるきっかけでオバマ氏が不興を買えば、献金額も一気に不況になってオバマ氏の政治基盤が一気にクラッシュする可能性があるのは金融資本主義と似たようなところがあると思う。
そもそも企業献金であれ、個人献金であれ、「見返り」を求めない献金など有り得ない。それがノーマルな姿だ。オバマ氏に献金した人々も、政治を変えて欲しいという「見返り」を期待したのだから裏切られればすぐに資金源はなくなる。大統領選の場合、極論すれば、選挙シーズンの時だけに献金を集中的に集めればいいが議員の場合、選挙後も安定的にネット献金を集められるのかどうか。
つまり、ネット献金と言っても、その前に何らかの知名度という資本を作っておかないと、とても十分な献金を集められないだろう。そうすると、やはり政治家になる早道はニュースキャスターなり、ニュースコメンテーターになるか、「政治に関心を持つ芸能人、有名アスリート」になるか、そうでなければ、アルファブロガーにでもなるしかないということになる。
そして、このレベルではもう現実化している。現実化している現象がネット献金によってますます加速されるだけだろう。ネット献金のロングテール化だって有り得ることだろう。
そうなると、世襲議員の弊害と同じようにネット献金議員の弊害が出て来る可能性すらある。性質からして議員版「視聴率至上主義」というか「ネット献金至上主義」あるいはSNS至上主義というか新型ポピュリズム、新型族議員の弊害が懸念される。
ネット献金を隠れ蓑にした企業献金だって“西松建設方式”で当然行われるだろうし、知名度の高い世襲議員だってネット献金でも相対的に有利になると思われる。仮にネット献金が定着して何かが大きく変わると考えるのは幻想だろう。ま、多少は変わるぐらいに思っておけば、ちょうどいいくらいだろうか。
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