有権者が政治選択できない“ガチンコ討論”は所詮茶番劇

サンデープロジェクト5月24日放送

ガチンコ討論!第4弾 加藤氏 VS 竹中氏「小泉・竹中構造改革」は、失敗だったのか? 加藤紘一 (自民党元幹事長)竹中平蔵 (慶応大学教授)

かなりの“ガチンコ討論”で、竹中氏が「90年代の失われた10年の責任者の張本人に言われたくない」、加藤氏が「竹中さんには経済だけあって社会というものがない」と言えば「加藤さんは文明批評しているだけ」と結構激しかった。詳細は、
加藤紘一、竹中平蔵両氏が小泉改革めぐり非難の応酬(産経)

加藤氏が「改革で地方の疲弊は程度を超えている。あなたの考えには、社会(への配慮)がない」と竹中氏を糾弾すると、竹中氏は「加藤氏は(経済が停滞した)『失われた10年』を作った責任者だ。それを終わらせた小泉氏を文明評論家のように批判するのはおかしい」と反撃した。
加藤氏は小泉内閣当時のゼロ金利政策や企業重視の姿勢が、個人の資産目減りや収入減につながり、「今や社会全体がイライラしている」と指摘。
これに対して竹中氏は、加藤氏がバブル崩壊直後の1990年代、自民党幹事長などの要職を歴任したことを指摘し、「加藤さんがしっかり不良債権処理をしなかったから、われわれが処理した。後ろに戻れば未来があるというような議論は間違いだ」と述べた。

けれど、冷静に見れば、180度真っ向対立している2人、同じ自民党であること。ケケ中氏は正確に言えば元自民党だけど、小泉・竹中でくくれば自民党に間違いない。
で、きたる衆院銀選挙では、竹中氏に1票投じたい人も、加藤氏に1票投じたい人も、1票の行く先は同じ自民党であるという現実。「そんなに対立しているのなら別々の政党になれよ」だ。
元々自由民主党が1955年の保守合同を行った背景は、社会主義勢力の台頭のための元祖大連立だった。しかし、社会主義、共産化の脅威などとっくに終わっている。気が付けば今年でベルリンの壁崩壊から20年になるというのに、自由民主党自由民主党のままなのだ。とっくに所期の目的はなくなり、大連立持続の意味はなくなっているのに、惰性で変わらないままに続いている。今必要なのは大分離なのだ。この変わらなさは朝鮮労働党並みだ。そのココロは体制維持のみが目的という点で共通しているから。決して北朝鮮をバカに出来ない。
竹中派というより小泉チルドレン中川秀直グループなどと、加藤氏の一派は四の五の言っていないで、さっさと別々の党に立ち上げればいいのだ。テレビのニュースショーだけで対立しているだけなら評論家同士の議論と同じだ。
そもそも名前どおり、自民党は「自由+民主」党であり、政権交代するぞと言っている民主党も、民主党自由党が合併した経緯から考えれば「民主+自由」党なのだ。「自由」を先にするか「民主」を先にするかの違いだけで、現実に民主党幹部の大半は元自民党だ。実質第2自民党なのだから、これで政権交代とはプロ野球の1軍と2軍を総入れ替えするようなもので、恐ろしく訳の分からない政権交代ではある。所詮二大政党制の擬態なのだからどうにもならないのだ。
この両党を足して2で割れば純粋自由党と純粋民主党が出来上がる。二大政党制と呼ぶならここまで行かないと本物と呼べない。
ところで、鳩山由紀夫民主党代表のホームページわがリベラル友愛革命 を見ると、

弱肉強食と悪平等の中間に位置する友愛社会の実現を目指し

とある。荒っぽく言えば、「竹中氏と加藤氏の中間に位置する友愛社会」となる。ま、現実的には、「親小沢と反小沢の中間に位置する友愛社会」なのだろうが、いずれにしても、有権者が現実に与えられる政権選択は左右極端併せ呑みか、その中間かかというややこしい選択肢しかないのだ。しかし、「左右極端併せ呑み」というのも併せ呑めば結局「中間」になる。
つまり、自民党に投票しようが、民主党に投票しようが、表向きはさておき、2種類の「中間」という選択肢しかない。しかし、どうせ「中間」なら最初から「中間」を標榜している民主党の方が分かりやすいと言えば分かりやすい。自民党は左右極端の接着剤としてバラマキを必死にやっている分、イメージが悪くなっている。
というわけで竹中氏と加藤氏が“ガチンコ討論”すればするほど逆に自民党の存在理由の意味不明さが浮き上がる結果になり、その意味不明さは「友愛」に勝るとも劣らないから困ったものなのだ。
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