ら抜き言葉は合理的だから容認される

采配は「振るう」? ら抜き容認も増加…国語に関する世論調査(産経)

一方、ら抜き言葉の「来れる」を「言葉の乱れではなく変化」とした人が4割を超え、変化を容認する傾向も強まっている。

言葉も長期的に経済的合理性が働くようだ。「ら抜き」されるのは「られる」の中で可能を表す時だけ。他に「仰られる」のような相手に対する尊敬を表す表現ではけっして「仰れる」とは言わない。
また、「間違えられる」を受身の意味で使う場合も「間違えれる」とは言わない。むしろら抜きの方が「可能」の意味で使われていることがはっきりする。
今はまだら抜き言葉は口語で使われることが多いようだけれど、書き言葉でも一般的になるだろう。いい加減のように見えて合理性があるから栄えるものは栄える。手抜きとか面倒臭い、ものぐさと言われようが、それなりに合理性があることが多い。これが進化というものだ。
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