「確認」の「た」は常に過去に言及している

女教師ブログ:「よろしかったでしょうか」を読んでいたら確認のための「た」というのがあるらしいことを知る。けれど、どうも納得できない。
そもそも「よろしかったでしょうか」と注文する前に言うウェイトレス/ウェイターってお目にかかったことがない。必ず注文を復唱する形で確認のためだと思うのだけれど、そもそも確認作業というのは過去の出来事しか確認できない。未来のことなど確認しようにも確認できないではないか。注文してもまだ現物が来ていないものを確認するのだから未来のあるべき行為を確認すると言えば屁理屈だろう。あくまで注文の確認作業だ。
例外があるとしたら、「通常はレギュラーサイズですよね」ということを前提に「あなた様もレギュラーサイズでよろしかったでしょうか」という具合に「普通」が過去の経験としてインプットされている場合。これだって聞かれる側もある面慣れているので気にならんだろう。不特定多数を相手にして相手にされる側も自分が不特定多数と認識しているので、やはり過去の確認作業の一種だろう。
コメント欄にある例も常に確認する時は常に時系列的に確認対象は過去もしくは完了したことに言及している。
「あなた誰でした?」⇒過去に会ったもしくは会ったかも知れないことを前提にしている。
「この火加減じゃ強すぎた?」⇒もう強過ぎたという過去がある。
「はしは一膳でよろしかったですか」⇒明らかにこの客は一人分の食べ物しか買ってないから、その時点で「はしは一膳でよい」という暗黙の合意形成が成されたという仮定が前提され、「あなたもそのつもりだったですよね」という過去の一般例から確認を求めている。レギュラーサイズと似た例。
「あっ、今日は月曜だった!」⇒今日は既に月曜日になってしまっている。「あっ、明日は火曜だった!」という場合も、その前に明日は火曜だと認識していなかった過去の自分が前提になっている。
つまり、どんな例も確認は過去もしくは一般的な「普通の過去の例」を前提にしているので、わざわざ「確認」のための「た」なんて言う必要あるのだろうか。
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