サッカーW杯と日本文化を結び付けて赤っ恥掻く典型例

時間潰しに週刊新潮今週号を読んでいたら、「藤原正彦管見妄語」というコラムがあって、今週のテーマは「ワールドカップ」。いや、本当にコラムタイトル通りなので噴き出した。

初戦のカメルーン戦に一対〇勝利したことで、日本中が沸き返ったが、この結果は単なる幸運で試合内容は完全に負けていた。

で始まるご高説は日本代表にはいつまでたっても治癒できない宿痾があるそうだ。一つは、

組織的に点を取る形とは一つしかない。チャンスを予感するや何人もが前線に向かい殺到することである。敵が一気に躍り出てくると、経験者なら誰でも知っていることだが守備陣は必らず浮き足立つものである。

うーむ、どこだってそうやっているし、日本代表だってそうしていたと思うのだけれど。

殺到すべき人々はトップ下のハーフ団だが、この人達の本来の仕事は守備でマークすべき相手やカバーすべき地域がそれぞれに割り当てられている。この仕事を、チャンスと見たら放棄して前に飛び出さなければならないのだ。日本人は生真面目でこの職場放棄ができない。

「ハーフ団」というのが何を指すのかイマイチ良く分からないけれど、「チャンスと見たら」ディフェンダー長友佑都は“職場放棄”してゴールに殺到していた筈だが。同じディフェンダー中澤佑二田中マルクス闘莉王だってしょっちゅう“職場放棄”していて実際にこれまでにたくさんゴールを決めている。まあ、闘莉王は日本人になったばかりだが。

もう一つの宿痾は、前半で日本がリードした後半で、皆が守備に徹しリードを守り切ろうとすることだ。特に最後の二十分間などほぼ全員がゴールポストから十メートル以内に入り懸命に守る。

ああ、カメルーンが時間切れを焦り、ボールを持ったら闇雲にパワープレイでゴール前にロングパスを上げていたからそう見えたんだろうなあ。そりゃ、あんだけぼんぼんボールをゴール前に上げられたら防御するためにゴール前に殺到するよ。
けれど、矛盾していないか。チャンスと見るや“職場放棄”して相手ゴールに殺到しなければいけないと説いておきながら、ピンチと見るや“職場放棄”して味方ゴールに殺到しちゃいかん、と言っているのだ。
言い換えれば、日本は勝つな、勝たれて迷惑している、ということなのじゃないか。藤原正彦氏の想定したであろう「日本、3連敗で一次リーグ敗退」でないと、持論の「日本ダメダメシナリオ」が崩れて困るのだ。
さて、わずか1週間で藤原氏の言う“長年の宿痾”が治癒されて決勝トーナメント進出した今、来週号はどう書くつもりなんだろうか。多分、全く別の話題に切り替えるのかなあ。
同じ人が月刊文芸春秋で「日本国民に告ぐ」とご高説垂れておられるようだけれど、わずか1週間で崩れるご高説だから、読んでも意味なさそうだ。なにしろ、その論考は、

日本が危機に立たされている。何もかもがうまくいかなくなっている。

で始まるのだから。やっぱりサッカー日本代表も「何もかもがうまくいかなくなっている」でないと困るのだ。
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