「裁判員」のための柳腰判決
朝山芳史裁判長は「極めて利欲的な犯行で、殺害方法も最も残虐」と述べ、死刑を言い渡した。裁判員制度開始から1年6か月、全国初の死刑判決となった。
朝山裁判長は閉廷前に「あなたは法廷ではいかなる刑にも服すると述べているが、重大な結論ですから、裁判所としては控訴することを勧めます」と付け加えた。
司法の劣化と言われているけれど、これも一例。およそこの裁判長と言うのは無責任で、その丸投げぶりは仙谷由人官房長官と何ら変わらない。裁判長は当の被告のことなど関心がないのだ。関心がないから被告の「いかなる刑にも服する」という言葉も簡単に無視して「控訴することを勧めます」というおよそ有り得ない責任放棄の言葉を平気で言えるのだ。
裁判員制度が適用される事件は地方裁判所の第一審のみなので、控訴されれば裁判員制度の適用外の高裁に持ち込まれる。言わば、死刑判決を伴う裁判員裁判は高裁に丸投げして欲しいと被告に頼み、事実上「判決は一応出しましたけれど、これは形式的なものと思って改めて高裁で判決を受けてください」と言っているのと同じだ。
じゃあ、最初から判決放棄しろよ、と言いたのだけれど、そうもいかないのでアーハーオーホーなのだ。情けなさを絵に書いたような判決。
しかし、裁判長は裁判員に考慮して判決を出したのかと言えばそれも嘘。単にマスコミが裁判員裁判での初の死刑判決で注目しているから、何らかの配慮しなければいけないと考えたに過ぎない。自分ではそれで裁判長の責任を果たしたつもりでいるのだ。
その責任の果たす先は被告でも裁判員でもなくマスコミということ。裁判員裁判での死刑判決が今後数回続けばマスコミも注目しなくなるから、その時にはこんな下らない「控訴の勧め」もなくなるだろう。要はほとぼりが冷めるまでの弥縫策。これじゃ裁判というより裁縫だ。
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