柳田法相の自虐ネタとマスコミ主導国会の自家中毒
柳田法相が辞任、国会軽視発言で引責−事実上の更迭(bloomberg)
柳田稔法相は22日、首相官邸に菅直人首相を訪ね、国会答弁を軽視する発言をしたと野党から追及されていることが今年度補正予算案の審議に影響を与えているとして辞表を提出、首相もこれを受理した。柳田氏が記者会見で明らかにした。後任法相は仙谷由人官房長官が兼務する。
尖閣諸島沖での海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件への対応などをめぐり内閣支持率が急落する中での閣僚辞任で、政権運営は厳しさを増す。
柳田氏は同日午前、法務省内で記者会見し、辞任の経緯について「首相から補正予算、国民生活を考えるとなんとしても速やかに通さなければならないという話があった」と指摘。その上で、「わたしの広島での不用意な発言がいろんなところで影響を与え、補正についても障害になってきたということを考えて補正を速やかに通すべく、わたしの方から身を引かせていただくということで辞意を伝えた」と述べ、首相の意向を受けて最終的に自ら決断した事実上の更迭人事だったことを認めた。
辞任はナンセンス。“失言”と補正予算は何の関係もない。関係もないことで国会が麻痺するとしたら“失言”が駄目なのではなく、国会そのものが駄目なのだ。その駄目さ加減を“内部告発”したのが“失言”なのだから辞任すれば“失言”の意味がなくなる。この構図、柳田法相を尖閣諸島の中国人船長、処分保留釈放を辞任、中国政府を野党、弱腰外交を野党対策に置き換えれば全く同じだ。キーワードは柳腰。今回は柳田腰か。
柳田法相は前日、もっと踏み込んだ発言をしていた。
「踏み込んだ答弁」検討指示=法相(時事)
柳田稔法相は21日午後、尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐるビデオ映像流出問題などについて「(これまで)個別案件とか、法と証拠に基づいてとか国会で答弁をしてきたが、このままでいいのか」と述べ、より踏み込んだ答弁が可能か、西川克行法務省刑事局長に検討を指示したことを明らかにした。同省内で記者団に語った。
法相は地元での会合で「(国会答弁は)二つ覚えておけばいい」などと発言。これに対し、野党から国会軽視と厳しく批判されたことを踏まえた対応。答弁姿勢を変えることで、野党側の辞任要求をかわす狙いもあるとみられる。
この「二つ覚えておけばいい」という自虐ネタは本人がどういう意図で言ったかはともかく、ある種の内部告発的発言で、国会における馴れ合い的質疑応答を正直に語ったもので非難されるべき筋合いのことではない。国会議員そのものが国会軽視しているのだから何をか言わんやだ。
この場合、自虐ネタとは2つの意味がある。1つは文字通りの意味。もう一つは国会の自家中毒ネタということ。自家中毒とは国会内部の問題を優先して問題化して本来行うべき国会審議を回避している状態であるという国会全体の自虐ネタという意味。
そもそもこの「法と証拠に基づいてとか国会で答弁をしてきたが、このままでいいのか」と西川克行法務省刑事局長に検討を指示したこと自体が自虐ネタのとどめなのだ。答弁のあり方自体を官僚に指示して見直せというのだから。
それを時事通信に限らず、マスコミは、
野党側の辞任要求をかわす狙いもあるとみられる。
と横並びで報道した。
政治報道はあくまで「ああなればこうなる」式に政治力学のストーリーに沿っている。最近、「検察の描いたストーリー」というのが流行ったが国会運営も「政治部記者が描いたストーリー」に従って動くようだ。
彼らの頭の中には、“失言”で補正予算が通る、通らないという本質的な不合理性などどうでもよいことで、ましてや補正予算の中身など二の次。マスコミの政治部記者の志向と2チャンネラーの志向は実は同じだ。解散という祭りを志向することにおいて。
なぜこうなるのかというと、国会議員が、本来の予算審議など面倒なことしたくないからだ。予算の季節になると、恒例と言っていいほど“失言”やスキャンダルがどこからともなく燃え上がって来る。政治家も政治部記者も、この手の国会内芸能ネタの方が大好きだから本来の国会審議などそこのけで夢中になる。
所謂問責ドミノなどネットで言う燃料投下による炎上を狙ったものだろう。
国会議員の側にも「二つ覚えておけばいい」の類の既製品の常套句は一杯ある。
自民党参議院議員塚田一郎の「第一義」:機能不全の状態!
あまりに遅すぎる対応
大臣としての資質を欠いた発言
任命責任が問われます
なんて国会議員が「三つ覚えておけばいい」類の言葉だろう。
舛添要一オフィシャルブログ
に至っては、
辞任は当然である。緊張感なき閣僚は去るべきだ。一方で国民生活に影響を及ぼす補正予算の審議は進めねばならない。党利党略は二の次だ。
とある。これまた凄い発言だ。ずーと、党利党略で事が進んでいるのに。この場合、「補正予算の審議は進めねばならない」という言説自体が党利党略の中に繰り込まれているのであって、そのことが国会の自家中毒ということだ。
どっちもどっちだから、「菅内閣は末期的症状」と言っても始まらない。国会そのものが末期的症状なのだから。
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