高橋洋一氏の手の“挙動不審”

晦日に放映された、USTREAM講談社現代ビジネス年越しスペシャル エコノミスト「朝生まで生テレビ」徹底討論会アーカイブで見たら、討論の内容そのものより、画面右端にいる高橋洋一氏が討論始まってからも終始落ち着きないのが気になった。
眼鏡を外していじったり、ズボンのポケットに手を突っ込んだり、机の前のパソコンをのぞき込んだり。パソコン除くのは、音声の調子が最初悪かったりツイッターの反応見たりしてるんだろうけれど、それにしても落ち着きがない。
一応自分の発言言い終わった後も、手で顔を揉んだり、頭掻いたり、手を揉んだり、あっち向いたりこっち向いたり、首回したり、爪垢をほじくったり、耳をほじくったり、ビール飲んだり。ビール飲むのもビール飲むためというより、絶えず手持無沙汰だから手を動かす一環としてビールを飲んでいるといった風情だ。
かと言って、他人の話を聞いていないわけではなく、ちゃんと討論の流れについて行っており、発言すべき時は発言している。しかも不思議なことに一度発言し始めると、討論を主導してほとんど高橋氏の演説会で他の3人は聞き役に回る状態が多くなる。
どうも“挙動不審”は、実は他の3人のお手並み拝見的な無意識のパフォーマンスのようで、あまり歯ごたえがないので我知らずの余裕の表明なのだろう。
全般的に真面目に話しているのは司会者だけで、準真面目は他の3人のパネラー、高橋氏のみは余裕綽々でゆったり上から目線で討論の流れを軌道修正して何となく結論を誘導するという感じ。元々財務官僚だから学者やジャーナリストの意見を丸めこむノウハウの引き出しは一杯持ってますよ、という感じ。木が付いたら高橋氏の講演会になってしまい、他のパネラーと質疑応答のお時間になってしまった、という雰囲気なのだ。
けれど、この“挙動不審”、なにげにか、あの「高橋洋一氏窃盗送検と郵政民営化の逆風」を思い出してしまう。余裕があり過ぎて、ついでに何かをやってしまう器用な人らしいことはどんな状況でも確からしい。あの時は「人間観察」なんて言っていたそうだが、この討論会の序盤の“挙動不審”はある意味「人間観察」ぽいと言えば言えなくもない。それが他人にはどう映るかの話だろう。
ただ、あの事件の時はもっと余裕があり過ぎて途中で居眠ってしまったのが痛かっただけなのかもしれない。
ところで、他のパネラーの一人、池田信夫氏が司会者の「格差が広がったという人もいるようですけど」と遠慮がちに質問したのに対し、
「いや、格差広がっていると思いますよ、世代間格差は滅茶苦茶広がっていると思いますよ」とかつてブログで言っていた「格差社会」の幻想.などで言っていたことと真逆なことをさりげなく“訂正”していたことだろうか。これは当時、こっちの方でOECD「日本での格差縮小」は2003年現在のデータらしいで否定しておいたのだけれど、まあ、「池田信夫氏が1年がかりでコソーリ訂正していた件」と同じと言えば同じで珍しくもなくなったのだけれど。
そもそも、討論番組で高橋氏が皮肉で言っていたようにIMFの日本に関するレポートは実質「国際」の仮面をかぶった財務省のレポートだし、それはOECDレポートでも同じだろう。要は学者やジャーナリストが寄ってたかっても元ネタを知っている元官僚一人の掌で踊らされる構造が崩れていないということがよく分かる番組だった。高橋氏の掌が絶えず動いているのはその象徴のようでもある。
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