班目春樹原子力安全委員長の「ゼロ」の計算法

福島第1原発:衆院委で班目氏「再臨界事実上ゼロの意味」(毎日)

原子力安全委員会の班目春樹委員長は24日の衆院東日本大震災復興特別委員会で、東京電力福島第1原発1号機への海水注入をめぐり、3月12日の菅直人首相らとの協議で「再臨界の可能性はゼロではない」と発言したことについて「事実上ゼロだという意味だ」と説明した。
ただ福山哲郎官房副長官は5月23日の記者会見で、班目氏の発言を「専門家の意見として大変重く受け止めた」としており、認識のずれが表れた形だ。

本当の「ゼロ」の意味は単純な引き算だろう。
「海水」と「再臨界」の関係は言葉の問題

再臨界」の関係は言葉の問題]で引用した朝日の記事、
再臨界の危険性があるなどと私は言っていない。侮辱と思っている」と反論した。
会見で配布された海水注入をめぐる事実関係の発表文には、「原子力安全委員長から、『再臨界の危険性がある』との意見が出された」などと記されていたが、班目委員長は「発表文は東電と官邸と保安院が作ったもの。原子力安全委員会として抗議する」と話した。

の段階での、
「危険性がある」−「危険性があるなどと私は言っていない」=0=ゼロ
という政治学的方程式の解としての「ゼロ」なのだ。班目委員長はこれで、
政治との妥協=ニュートラル=ゼロ
となったつもりのようだ。
元々班目委員長の頭の中では、
再臨界の可能性はゼロではない」≒「事実上ゼロ」
なのだろうけれど、そもそも、

発言内容の訂正は、班目氏が22日、首相官邸福山哲郎官房副長官細野豪志首相補佐官に申し入れた。出席者によると、発表の訂正を求める班目氏に、福山氏らが「可能性はゼロではない」と発言したとする案を提示、班目氏も了承したという。細野氏は22日夜、記者団に、「(発言内容の)基本路線は変わっていない」と述べた。その後、菅首相に訂正を報告した。

(2011年5月23日01時33分 読売新聞)
という、政府側から提示された妥協の産物らしいのだから、まあ、それ以上はどうでもいいや、というつもりだったのだろう。
ところが、政治的文脈では、
再臨界の可能性はゼロではない」≠「事実上ゼロ」
になってしまうのだ。この「≒」と「≠」の差はでかい。「再臨界の可能性はゼロではない」は「可能性がある」に容易に変容し、しかも、時間がたつにつれてどんどん変容するのは制御棒が挿入されても冷却しないと再臨界する危険がある原子炉と同じ。“政治炉”も制御を誤ると暴走する。
なら、最初から「事実上ゼロ」と訂正しておけばよかったという向きもあるかもしれないが、それでは最初の「再臨界の危険性がある」から乖離が有り過ぎ、急速冷却で却って“政治炉”を「損傷」しかねない。もちろん、ここで言う「損傷」とは「メルトダウン」の政治的言い換え言葉で、“政治炉”もメルトダウンしているかどうかは検証しなければ分からないのでただちに「メルトダウン」とは言えないのだ。
よってこの問題も、じっくり時間をかけて政治的冷温停止にもっていくしかないのだ。
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